〈俺はね
超回復思考って呼んでるんだけど〉
〈苦しんだ分だけ結果が出る
そう思い込む思考のこと
炎天下の中 水を飲まないトレーニングのほうが効果がある
麻酔を使わない出産の方が愛情が深まる
死に物狂いで勝負に勝てば1億5千万手に入る
不安が根拠を欲しがる〉
〈対価と代償
対価に代償はつきものだけど
必ずしも代償に対価は伴わないのに ねぇ?〉
(福田秀『STAND UP START』第2巻 YOUNG JUMP COMICS)
スタートアップ企業支援、起業家たちのストーリー漫画『STAND UP START』の中の一節だ。
まさに僕ら人間の陥りやすい思考のワナを示していると思う。

何か成果や対価を得るには代償が必要だ。simply say, no free lunch.
だが、多くの代償を払ったからと言って多くの成果や対価が得られるとは限らない。あるいは同じだけの成果や対価を得るのでも、少ない対価で済む場合もあるしたくさんの対価を払わなければならない場合もある。
文字に書けば当たり前に思えることでも、実際の生活となるとすぐに超回復のワナに落ちる。
「これだけ頑張ったんだから成果は出るはず」とか「苦労は必ず報われる」とか「我慢すればいつか報われる」とか。
頑張りや苦労、我慢は大事だ。
しかし頑張りや苦労や我慢の総量と対価や成果がいつもイコールとは限らない。
徒労、という恐ろしい言葉もある。
なぜ人間が(主語が大きいが)こうした超回復思考のワナに陥ってしまうか、居酒屋談議レベルで考える。それにしても行ってないねー居酒屋。コロナ禍が終わったらレモンサワーと唐揚げ頼むんだ。
えーと超回復思考。
居酒屋談議レベルの話だが、これは世の中がはるかにシンプルだった時代の名残りではないかと思っている。素手で獲物を狩ってた時代の。
素手で獲物を狩ってた時代なら、支払う代償や犠牲と成果・対価は1対1対応だったかもしれない。
しかし誰かがヤリを作ったりそれこそワナを作ったりして、少ない代償で大きな成果を上げられるようになった。
そうすると成果を得る方法がいく通りも出来て、どうしたら少ない代償で大きな成果を得られるか考える余地が出来た。
しかし人間というハードウェアにはそうしたいく通りものやり方からチョイスする思考方法がプリインストールされていないから、不安や恐怖などといった感情にとらわれると先祖帰りしてしまうのではなかろうか。
要は人間の初期プログラムには超回復思考という落とし穴があり、「このやり方しかない」とか「犠牲を払えば成果は得られる」とか「いま我慢すればあとで必ず報われる」とかいう考え方になって、「もっと良いやり方があるんじゃないか」と思えなくなった時はたいてい心の余裕が無くなったときだから要注意だ、という話である。