「生きるために食べる」か「食べるために生きる」か。

人間は、2種類に分けられる。

「生きるために食べる」タイプと「食べるために生きる」タイプだ。 そんなことを、米原万里氏が書いている(『旅行者の朝食』文春文庫 2004年 p.186-191)。

 

食事を生存のためのエネルギー補給としてとらえるタイプと、生きる喜びととらえるタイプといったところだろうか。食事を人生の手段とみるか目的とみるかと言い換えてもよいかもしれない。

米原氏は「生きるために食べる」タイプは〈空想癖のあるペシミスティックな傾向の哲学者に多い〉とし、「食べるために生きる」タイプは〈楽天的人生謳歌型の現実家に多い〉とした。例として、前者は芥川龍之介、後者は開高健を挙げている(p.190)。

 

現代ネット世界においては、「生きるために食べる」タイプはひろゆき氏、「食べるために生きる」タイプとしてはホリエモン氏はどうだろうか。

勝手なイメージだが、ひろゆき氏は「うまいもん食べるとか訳わかんないすよね。コスパもタイパも悪すぎ笑」とか言いそう(個人の感想です)。

 

村田沙耶香氏の『コンビニ人間』主人公の古倉恵子とかは「生きるために食べる」タイプの極北で、日々の食事のことを「エサ」と呼んでいたりする。

タレントの寺門ジモン氏は逆に、うまいものを思う存分食べられるように毎朝筋トレとウォーキングを欠かさないそうで、かえってストイックだ。

 

冒頭の米原氏も書いていたが、多くの人間は「生きるために食べる」のと「食べるために生きる」の間を揺れ動いている。

しかしながら現代社会では「生きるために食べる」ほうに偏りがある気がする。 働く人の間で、「完全食」と銘打った食べ物にニーズがあるなんてのはまさに象徴的だ。

現代社会では「生きるために食べる」に振れすぎているので、逆に「食べるために生きる」的な日常を描いた『孤独のグルメ』とか『ハンチョウ』とかが憧憬を持って読まれるのではないだろうか。

 

さてと。 それはそうと、今日は何食べますかね。

 

 

 

「頭のいいこと」の効能は25年から35年で切れるのではないか仮説とその対策。

「頭のいいこと」の効能というのは25年から35年で切れるのではないかと常々考えている。

生きていく上で、「頭のいいこと」が有利に働くのは若手から中堅くらいまでで、そこから先は別のファクターが必要なのではないだろうか。

 

「頭のいいこと」の効能が切れてくる理由の一つはもちろん次世代の台頭だ。人類というのは、次から次へと優秀な人たちが現れる。

また、日本というか東アジア圏というかの先輩後輩文化とか、スペシャリストよりゼネラリストやマネージャーが上位に置かれがちであるという会社文化も理由に挙げられる。

 

「頭のいいこと」の効能が25年から35年で切れるとすると、生き残り戦略としてはどうしたらよいか。

「キャリアのVSOP」という考えかたがあるという(けんすう『物語思考』幻冬舎 2023年 p.82-87)。

 

〈1978年に出版された脇田保さんの『自立人間のすすめ』という本に載っているものですが、簡単に言うと、

 

20代:(V)バラエティ。いろいろやってみるのがいい

30代:(S)スペシャリティ。専門性で戦う

40代:(O)オリジナリティ。あの人っぽいよね、と言われるようにする

50代:(P)パーソナリティ。あの人と仕事したい!

 

と思われるようにする というものです。〉(上掲書p.83)

 

生きていく上で、「頭のいいこと」の効能が25年から35年で切れてくる、正確に言うと、求められる「頭の良さ」の内容が全然変わってくるという仮説が本当で、「キャリアのVSOP」も正しいとすると、徐々に「パーソナリティ」を磨いていかなければならない。 つまり人間性を磨くことが大事ということで、人生は常に修行ですな。

 

 

 

病院受診の質を上げるためのたった3つのこと③

「目的」「主語」「語尾」をはっきりと明確にすることで病院受診の質を上げることができると書いた。

「語尾」とは何か。 わかりやすいので具体例をあげてみる。

ある日の診察室。

「お加減いかがですか?」

「加減はねえ…」

「食欲はどうです?」

「食欲はアレで…」

「睡眠は大丈夫ですか?」

「睡眠はまあ…」

「お通じはどんなもんでしょう?」

「お通じはちょっと…」

アレとは何か、まあどんな感じか、ちょっとどうなのか。

一言で言うと、WAKARAN。

 

日本語のコミュニケーションでは語尾を濁すことで柔らかい印象を与えることが出来る。また、日常会話のコミュニケーションというのは情報伝達というよりはあたりさわりのない言葉のやりとりをすることで互いに精神的な毛づくろいをし合うみたいなところがある。

しかしながら病院受診というのは情報戦だ。

語尾を明確にしてきちんと情報を伝えることで、誤解や誤診のリスクを減らすことが出来る。

たとえばこんなふうに。

 

「今日何食べた?」

「何も食べてない」

「好きな本は?」

「それは内緒」

「遊びに行くならどこに行くの?」

「何を聞かれてものらりくらり」

一言でいうと、YOASOBI。

 

Ah やっと言えた。

病院受診の際は「語尾」を明確にして伝えたいことが淡々と、だけど燦々と伝わるようお試しいただければ幸いである。

 

 

 

渋谷区ハロウィン騒動防止法試案。

渋谷区が「ハロウィンには渋谷に来ないで!」と言っているらしい。

www3.nhk.or.jp

「街おこしには『若者、馬鹿者、よそ者』が必要。来たれ若者、馬鹿者、よそ者よ!」と人を集めておきながら実際に若者、馬鹿者、よそ者が来ると排除しようとするのは、地方都市も渋谷区もおんなじだよなあ。
まあ自動車ひっくりかえすような暴徒まで集まるとは思わなかったのだろうけども。
 
インバウンドでは「来訪者の人数で競うな、総宿泊日数を競え」というそうで、地元にお金落とさない人が増えてもコストがかかるばかりなので、ゆっくり何日も滞在してお金を落としてくれるコントロール可能な数の観光客を増やさないといけないそうです。渋谷のハロウィン騒動は真逆になってしまった。
 
すぐにはこの状況は変わらないが、どうしたらよいか。
参考になる例がある。
 
イギリスかアメリカの話だったと思う。
 
目深にかぶったベースボールキャップ。
ワンサイズかツーサイズ大きいブカブカの服を着てフードは頭から。
『8マイル』でギャングスタなhip hopファッションで仲間たちとウロウロする若者たちでなんとなくギスギスした雰囲気に街が変わったとき、有効だった対策があった。
おんなじ格好を高齢者にしてもらい、街をウロウロしてもらったのだ。
その街ではギャングスタスタイル=おじいちゃんおばあちゃんの格好、というイメージになり、イカつい若者たちがそうした格好をしたがらなくなった。
「大きめの服でフードかぶるとあたたかくていいわ」とおばあちゃんにも好評だったという。
 
前置きが長くなった。
渋谷区がもしハロウィンのバカ騒ぎを遠ざければ、この例から学ぶことができる。
すなわちスクランブル交差点のど真ん中に超巨大なトゲ抜き地蔵を建立して(略)

 

 




病院受診の質を上げるためのたった3つのこと②

病院受診の際、「目的」「主語」「語尾」を明確にすることが受診の質を上げることにつながると先日書いた。

「主語」「語尾」を明確にするとは何か。

 

病院受診とは情報戦である。

適切な情報を提供し、医者から適切な診断や治療を引き出す。

そのための病院受診なのに、貴重なその機会が十全に活かされていない。

 

診察室での光景を再現してみる。

「最近、いまひとつで…」

「ほうほう」

「なんだか調子が悪いみたいで」

「なるほど」

「朝からすっきりしないんですよね」

「はあ」

「そのせいか睡眠もちょっと…」

「それで…」

「だから困ってるみたいなんですよね」

「あぁ…」

「旦那が」

「旦那さんの話ですか!!!!!!!」

「あ、わたしは元気です。いつもの薬ください」

日本全国で毎日繰り返されている光景だ。

 

「主語」と「語尾」を明確にして話しをするというのは非常に簡単に見えて簡単ではない。 日本語のコミュニケーションでは、「主語」と「語尾」をあいまいにしても成立するし、むしろ「主語」と「語尾」をあいまいにしておいたほうがあたりさわりなく日々が流れたりする。

しかしながら「主語」と「語尾」をあえて明確にして病院受診をしていただくと情報戦としての病院受診の質はぐんと上がるのでお試しください。

 

 

病院受診の質を上げるためのたった3つのこと①

3つのことをはっきりさせるだけで、病院受診の質を上げることができる。

非常に簡単かもしれないが、簡単ではないかもしれない。

完璧な受診なんてない。完璧な絶望がないようにね。

 

さてと。

病院受診の質を上げるため、あるいは受診の際の不完全燃焼感を下げるためには以下の3つのことをはっきりさせるとよい。

すなわち

 

①目的

②主語

③語尾 である。

 

まず大前提として、名医には巡り会えない。

1万人に1人の名医を求めてもそれは叶わない。 日本には33万9623人の医者がいるが(令和2年12月31日現在)、1万人に1人の名医を求めるならば、日本には名医は33人しかいないことになる。

「黙って座ればピタリと当たる」ような名医には巡り会えないと思うところから話は始まる。

 

病院を受診した際、あなたの目の前の医者は「黙って座ればピタリと当たる」名医ではないので、あなたが何を求めて病院に来たのかは明確にしたほうがよい。

「病気だから病院に来たに決まっているだろう」とお思いかもしれないが、人は様々な理由で病院を訪れる。

 

・具合が悪いので原因はどうでもいいからとにかくなんとかして欲しい

・具合が悪いので薬とかはいらないからとにかく原因が知りたい

・なんだかよくわからないけれどまわりの人やほかの医者から病院に行けと言われた

・症状は落ち着いているからいつもの薬だけだして欲しい

・役所や会社に出す書類を書いて欲しい。薬とかはいらない

 

それぞれの場合、医者の対応も変わってくる。

診察し仮診断を下しそれに基づいて必要なら検査などをして診断の正確性を上げ状況に応じて治療を行うという王道は変わらないが、時間の使い方や濃淡は変わってくる。

この「Youは何しに病院へ」を明確にすれば、病気の原因を知りたいだけだったのによくわからないまま山ほどの薬だけ出されて不完全燃焼のまま帰宅するという事態は減らせる。

まずは「目的」をはっきりさせ、きちんと医者に伝えることが病院受診の質を上げることにつながるので、ぜひお試しください。 (続く)

 

 

 

ヤンキースタジアムと「とりあえず今は幸せ」

ヤンキースタジアムで思ったのは、赤羽駅前商店街だった。

上原隆氏のエッセイで、こんな店が出てくる。
赤羽駅前、朝の9時、店の名前は「まるまん屋」。朝から美味しいものをアテに、酒が飲める。
三交代制勤務、夜勤明け仕事帰りの中年男が、上原氏と言葉を交わす。
〈「これがまた、いいんだ。朝酔っ払って帰って寝るのがね。とりあえず今は幸せって気分でいられる」〉(上原隆『雨にぬれても』幻冬社アウトロー文庫 平成17年 p.200)

「とりあえず今は幸せって気分でいられる」。
なんて良い言葉だろうか。

2023年夏、ニューヨークに遊びにいって野球観戦してきた。
ジャッジ選手が、打席に立つ。
観客が歓声を上げる。

「とりあえず今は幸せって気分」。そんな気分を作り出すのが、マンハッタン人はうまいのかもしれない。
ヤンキースタジアムにブロードウェイ、メトロポリタン美術館に自然史博物館。街にあふれるスペイン語。活気と喧騒と興奮。車の排気ガス。
生きてればいろんなことがあるけれど、マンハッタン島では「とりあえず今は幸せ」という気分をあちこちで与えてもらった。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のミュージカルも楽しかったし。

というわけでマンハッタン島が与えてくれた「とりあえず今は幸せ」という気分を思い出しながら、クレジットカードの支払額を眺めています。また頑張って働きますかね。