ヤンキースタジアムと「とりあえず今は幸せ」

ヤンキースタジアムで思ったのは、赤羽駅前商店街だった。

上原隆氏のエッセイで、こんな店が出てくる。
赤羽駅前、朝の9時、店の名前は「まるまん屋」。朝から美味しいものをアテに、酒が飲める。
三交代制勤務、夜勤明け仕事帰りの中年男が、上原氏と言葉を交わす。
〈「これがまた、いいんだ。朝酔っ払って帰って寝るのがね。とりあえず今は幸せって気分でいられる」〉(上原隆『雨にぬれても』幻冬社アウトロー文庫 平成17年 p.200)

「とりあえず今は幸せって気分でいられる」。
なんて良い言葉だろうか。

2023年夏、ニューヨークに遊びにいって野球観戦してきた。
ジャッジ選手が、打席に立つ。
観客が歓声を上げる。

「とりあえず今は幸せって気分」。そんな気分を作り出すのが、マンハッタン人はうまいのかもしれない。
ヤンキースタジアムにブロードウェイ、メトロポリタン美術館に自然史博物館。街にあふれるスペイン語。活気と喧騒と興奮。車の排気ガス。
生きてればいろんなことがあるけれど、マンハッタン島では「とりあえず今は幸せ」という気分をあちこちで与えてもらった。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のミュージカルも楽しかったし。

というわけでマンハッタン島が与えてくれた「とりあえず今は幸せ」という気分を思い出しながら、クレジットカードの支払額を眺めています。また頑張って働きますかね。

 

 



 

海外のwebサービスって解約が楽だよなーという話。

海外のwebサービスって解約があっさりしてて気持ちいい。
 
日本のwebサービスだと解約しようとしても解約の仕方がわからないように作ってあったり、解約ページに飛べてもなかなか解約させてもらえなかったりする。
 
そこへ行くとアメリカのwebサービスとかは「もう使わないから解約するね」ってポチッとすると「Thank you!See you again!」みたいにあっさり解約させてくれて、解約して1ヶ月経った今朝も大量に宣伝メールが送られ続けてくる。

潜在看護師を掘り起こすためのある病院の取り組み。

「どこも看護師不足で」

むかし見学に行った茨城の病院で聞いた話。

 

「看護師紹介の業者もありますが、手数料もかかる。だいたい年俸の3割くらいが相場でしょうか。でも、そういう業者を利用して看護師さん紹介してもらってもすぐ辞めちゃったりする。

で、うちの病院でやった対策は潜在看護師の掘り起こしです。

看護師免許を持っているけど看護の仕事をしていない人ってたくさんいるでしょう。

うちの病院のある地域は工業地帯で、会社や工場の人たちの健康診断はうちの病院が引き受けるんですね。 話を聞いてみると『うちの奥さん看護師なんだよね。今は主婦だけど』みたいな話をよく聞くんです。 だから会社や工場の定期健診の会場で、健診と一緒に『看護師募集』のお声がけをした。 すると『うちの奥さんに伝えとくわ』って言ってくれる人が出て、奥さんも『看護師として復帰しようかしら』って応募してくれた。

 

病棟でバリバリ夜勤というわけにはいかなくても、何人かそれで採用して働いてもらってますよ」。

 

注1.厚労省補助金研究(令和2年)によれば、いわゆる潜在看護師は79万3995人(平成30年時)。そのうち65歳未満では69万5461人とのこと。 ただし、看護師免許を持ちながら教育や研究に従事していたり、企業で働いている人も多いので留意。

https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/202022038A-buntan1.pdf

注2.看護師不足を海外からの人材で補おうという考えもあるが、たとえばフィリピンの看護師数は2019年時で92万3452人(経産省データ)。

手間暇かけて海外から招こうとするのもいいが、何よりも今働いている看護師が辞めなくて済む環境づくり及びせっかく国内で育成した看護師に復帰してもらう働きかけがより重要ではないかという考えに基づき、書いています。

経産省データ(看護師数はp.26より)。

https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/iryou/downloadfiles/pdf/countryreport_Philippines.pdf

 

注3.もともとはこちらのニュースを見ての雑感です。

www3.nhk.or.jp

 

 

 

 

新人看護師離職率を下げるための工夫と『リアリティ・ショック』

「ご存知の通り、看護師の離職率は高いです。特に新人看護師が辞めてしまう。そこで我々は」
かつて見学に行った静岡の病院で聞いた話。
 
「辞める理由を調べました。新人看護師の辞める理由を。
もちろんいろいろな理由があります。でも改善できる点があった。改善策を実行し、離職率を下げました。つまり、新人看護師というのは、いきなり医療現場に叩き込まれるわけです。
今まで看護学生だったのが、患者を受け持ち責任を負う。夜勤もあり生活のバランスが崩れる。受け持ち患者が急変したり、親しくなった患者が急に亡くなったり。それで心身を病むんですね。
我々は『リアリティ・ショック』と呼んでます。
 
それでみんな『もう無理。こんな仕事は続けられない』と辞めていく。
人の生き死にという医療現場の現実は変えられないからせめて、その現実に慣れる時間を作ろう。
 
そこで我々の病院では、入職して数ヶ月は夕方になったらとにかく帰らせる。数ヶ月は夜勤も入れません。先輩ナースからの指導の予定も、勉強会や委員会の予定も入れない。
 
医療現場だと、勤務時間以降に勉強会やなんとか委員会とかのエクストラの仕事が入りがちですが、夕方になったらとにかく帰らせる。そうやって『リアリティ・ショック』をやわらげる期間をなんとか作りました。
おかげさまで新人看護師の離職率は下がりました」
 
※新卒看護職員の離職率は10.3%とのこと。
出典 日本看護協会『2022年 病院看護実態調査』
20230301_nl04.pdf (nurse.or.jp)

〈人生の最後にもう一度「青春」が来る〉らしい。

〈四十歳から五十歳までの十年間は、情熱ある人びとにとって、芸術家にとって、常に危機的な十年であり、生活と自分自身とに折り合いをつけることが往々にして困難な不安の時期であり、たびかさなる不満が生じてくる時期なのだ。しかし、それから落着いた時期がやってくる。(略)興奮と闘いの時代であった青春が美しいと同じように、老いること、成熟することも、その美しさと幸せをもっているのだ。〉(ヘルマン・ヘッセが息子ブルーノに宛てた手紙より。ヘルマン・ヘッセ『老年の価値』朝日出版社 二〇〇八年 p.61)
 
おかげさまで50歳になりました。
バスケ部の夏合宿で「明日雨が降れば朝練なくなるのに…」と思いながら天気予報を見ていた頃から35年近く経ったかと思うとショックですが、こういうのを「老いるショック」というのでしょう。みうらじゅん命名。
 しばらく前から方向性を見失ってしまい、手探り中ですが、その中でいくつかの言葉に出会いました。
その一つが、〈人生の最後にもう一度「青春」が来る〉(大塚寿『50歳からは、「これ」しかやらない』PHP研究所 2021年 p.36)。
多くの人が会社を定年したりする60代に、もう一回青春がくるというのです。
 
「20歳だった。それがひとの人生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」というほどひどい青春ではなかったけれど清涼飲料水のCMとは程遠い青春で、ふてくされてばかりの10代を過ぎ分別もついて歳をとり夢から夢へといつも醒めぬまま未来の世界へ駆けていったら50歳になっていた身としては「人生の最後にもう一度『青春』が来る」、というのは救いです。
なにしろ今度の青春は、準備ができる。
 
さて、実は50歳を前に

人生迷子になってしまっておりました。

一言で言えば、「枯渇」。こうしたい!とかこうあるべきだ!みたいな湧き上がるものが無くなってしまったのです。

仕事ももちろんちゃんとやるけれど、何かそれに加えて、いや加えてというか生活や人生をドライブさせるような腹の底からの衝動みたいなものが枯れてしまっていた。ただ淡々と日々をこなす感じとでも言いましょうか。

まあ昔は人間五十年なんていっていたくらいだし、ほっとけば生のエネルギーなんてものは50年くらいで枯渇するものなのかもしれません。このまま凪のような心持ちで過ごしていくのかなあと思いつつ、少し足掻いてみました。

 

ぼくのネタ本の一つ、デビッド・アレンの『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』の教えに、「人間のアタマはタスクの重要性を区別しない。つまらないタスクやささいなタスクも人生の重大事も同じように扱う。つまらないタスクやささいなタスクをそのままにしておくと、アタマのキャパがそちらに取られるので、重大なタスクにアタマが回らない」というものがあります(「脳」というワードはぼくにとって正確に扱うべきテクニカルタームなので「アタマ」という日常生活用語を使っています)。

 

アレンのこの仮説はなかなかに示唆的です。

このアレンの仮説を思い出して、「生のエネルギーが枯渇してきたのは日常の些事にアタマのキャパを奪われているからではないか」と考えました。

アレンが勧めているのは「やらなきゃいけないこと、気になってることを紙に書き出せ。書き出したらそれを上から順にこなせ」という方法です。

で、やってみた。

日常生活上で気になっていること、やらなきゃいけないと思っていること、なんとなくやだなと感じていることを書き出してみました。

自分で驚いたんですが、なんとそうした些事や心わずらわされていることが合計58個ありました(本当)。

 

ぼくは自分自身を基本的に大雑把な性格と自認しているのですが、それでも58個も心わずらわされてることがあったのです。そりゃ心も動かんわ。

 

備忘録として、やり方はこう。

一日の流れを朝から思い浮かべます。

朝起きてヒゲを剃る。「シェービングクリームが切れてるんだよな。ここのところ毎朝『買わなきゃ』と思ってるよな」と思い至る。これで1個。

家を出るシーンを思い浮かべる。

「靴がくたびれてるんだよな。『そのうち買わなきゃ』って何ヶ月も前から思ってるよな」。これで2個。

朝から晩までの流れを回想して些事をピックアップしたら、今度は月曜から日曜までの流れを回想します。

すると「毎週◯曜日のあの検査の時、検査依頼書の文言書くのがちょっと手間なんだよな。いつも『簡略化できないか』と思うけどそのままなんだよな」と思い出す。

一週間の流れを振り返ったあとは一ヶ月の流れを反芻します。

今度は「月末の支払いの振り込み、毎月毎月ちょい面倒なんだよな」と思い至ります。

一ヶ月の流れを振り返ったら今度は一年。

そうやって、気になること、やらなきゃいけないと思ってること、心煩わされていることを全部書き出したら、58個ありました。むしろ少ない方かもしれません。

 

唐突ですが、四書五経の一つ易経には、陰と陽の考えかたがあります。

陽は発展とか成長とか拡散とかの力の方向性。植物でいえば、根から幹、幹から枝、枝から葉へと流れる、外へ外へと伸びてゆく力の流れです。

陰は集中とか成熟とか集約とかの方向性で、植物でいえば、葉を落とし枝を落として、幹へ根へとエネルギーを絞り込んでゆく力の流れですね。

超自然的な占いとかとは距離を置きますが、この易経の陰陽の考えかたは非常に興味深い。

 

我がことに当てはめると、外へ外へ、上へ上へという陽のエネルギーが枯渇した状態がここ最近だったといえます。

で、今回実感したのですが、陽のエネルギーが枯渇しているときには、陰の方向で対処すればよいようです。

心のエネルギーを知らず知らずに奪っている58個の些細なこと、気になっていること、心煩わされていることを書き出して、一個いっこ対処しました。

 

「対処するために必要な手間ひま」を横軸に、「対処した場合に気が楽になる程度や効果持続期間」を縦軸に4象限の図に落としこんで、「比較的あっさりできること」かつ「対処した場合に持続期間の長いこと」から優先的に手をつけてみました。

 

たとえば「家の鍵の変形」。

家の鍵の持ち手の部分が変形していて毎朝毎晩気になっていたのです。これも業者に依頼したらあっという間に解決しました。もっと早く頼めばよかった。

あるいは仕事場の家賃振り込み。月末振り込みの契約なんだけど、支払いタイミングをコントローラブルにしておきたいという心理からか、今まで毎月自分で振り込んでました。毎月月末になると「そろそろ家賃振り込まなきゃ」と気にしてたので、これも(ようやく)口座引き落としにしました。

 

面白いことに、リストアップした58個のうち5〜10個対処した時点でちょっと元気になりました。

おそらく、些細だけど気になること、心煩わされることを放置すると自己肯定感が下がるんじゃないかな。無意識のうちに「こんな些細なこともできないのか」と無力感が湧いてきちゃうのかもしれない。

そこで瑣末なことでもいくつか対処するうちに自分のことを「やればできる子」と認識するのではないでしょうか。

ここまでのところをまとめると、生のエネルギーを芽生えさせ育てるために、心の表面に繁茂していた雑草のような瑣末な事柄を一つ一つ抜いてまず土地を作ったというところですね。

 

昨日も使わなくなって放置していたクレジットカードをようやく解約しました。

銀行の休眠口座も整理しなきゃ…。

(続く)

 

 

「入門したら徹底的に”遊ば”せる」。深夜のバーで噺家が言った。

「あたしらの世界はね、入門したら徹底的に遊ばせるんです」
深夜のバーで噺家が言った。
「徹底的に遊ばせるとね、どこかで『ああ、“遊ぶ”といっても所詮はこんなもんか』ってなって、そこから芸の稽古に身が入る」
数十年前に聞いた話。
 その一門だけの話なのか、今はどうなのかは知らない。しかしその育成方法、選抜方法は面白い。
 
「遊びは芸の肥やし」の世界の話だから特殊だけれど、欲望を押し殺して何年も修行して、ようやくモノになったと思ったら“遊び”で身を滅ぼす。そういう人もいるだろう。その場合、無駄になるものは多い。師匠や兄弟子が親身に指導した時間も無駄になる。
だったら一番はじめに“遊ば”せて、身を持ち崩す人はそこでアウト、地獄めぐり極楽めぐりをして“遊び”の世界とほどほどで付き合って、”遊び”を芸の肥やしにできる者だけを選抜して育てる、ということなのかもしれない。
 
「板に立ってお客さんの大爆笑を受ける。あれほどの快感はない。あの瞬間は、カネもなんにもいらないと思っちゃう」
お笑い芸人の人がそう書いていたのを覚えている。
人気漫画『推しの子』でも女タラシの監督が似たようなことを言っていた。「5,6番目」というのが妙にリアルですね。『推しの子』、めっちゃ面白いです。



桑田佳祐氏も「若いころはツアーのとき”お姉ちゃん”と遊んでたけど、今は寝ちゃう。いいステージやりたいから」みたいなことを大昔『ぴあ』のインタビューで言ってた。何歳のときかはわかりませんが。
 
「なんだかんだで芸事や作品作ること、演じることや演奏することが一番気持ちいいし面白い」と感じる人がクリエイターを続けていくのでしょうね。キングカズとかも「なんだかんだで自分でサッカーをプレイするのが一番面白い」と思ってるんだと思う。知らんけど。

 

 

ジミーの流儀。

週刊プレイボーイで30数年前に読んだ話が、今も心に生きている。
 
映画の都ハリウッドに一人の男がいた。うろ覚えなので、仮にジミーとしよう。
ジミーはいわゆる業界人ではない。純粋な映画ファンだ。
面白い映画良い映画を観れば興奮して会う人ごとにその映画の話をする。
 ハズレの映画や出来の悪い映画を観たときにはただ黙って語らない。ハズレ映画や出来の悪い映画のことはただ自分の胸にしまっておく。
 
初老のジミーには家族もなくほかの趣味もない。街の外れのこじんまりとしたフラットに住んで、映画がかかると街に出かけてゆき、映画を楽しむ。
 
ジミーの楽しみの一つは、伝手をたどって試写会に出かけていき、これから世に出る新作を観ることだった。
アタリの映画の試写を観たときのジミーはそりゃあもう大興奮で、試写室を出た途端手当たり次第に「いい映画だった!君も観るべきだ!」と言って勧めまくる。
ハズレの映画の時は、黙して語らない。
 
いつしかハリウッドの業界人の間にこんなウワサが流れるようになった。
「ジミーという男が試写会に来た映画は、当たる」。
本当はジミーが試写会に来たからといって必ず当たるものでもないのだが、まあジンクスというのはそういうものだ。
 
そうして各社の試写会には、一つの席が設けられるようになった。
名付けて、「ジミーズ・シート」。
 
無名のいち映画ファン、ジミーがこの世を去ったとき、世界は彼のことを知らないままだった。ただハリウッドの映画人たちだけが、彼の死を心から悼んだという。
 
ぼくが見習いたいと思い続けているのは、ジミーの「良いものは絶賛し、そうでないものは黙して語らない」というスタイルだ。放って置けば人の心は他者を妬み「たいしたことない」と言いたがり、あるいは人の粗探しをして貶したがる。
映画を愛し映画人に愛されたジミーのスタイルを真似るには、意志の力が要る。
 
30数年前に一度読んだきりのコラムだし、彼がジミーだったかどうかもわからない。時の流れとともに思い出補正もかかっているだろうし、話も膨らんでいるはずだ。だがアズ・タイムズ・ゴー・バイ、すべては時の過ぎゆくままに。
(Facebook 2021年5月21日を転載。元のコラムをご存じのかたご教示ください)
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