私家版『こんな仕事があったのか!』

先日、『POPEYE特別編集 こんな仕事があったのか。』(マガジンハウス)をパラパラと読んでいて驚いた。出張おにぎり屋さんという仕事があるのか。炊き立て・特別なお米と具材を持ってイベントとかに呼ばれていって、こまやかな気遣いと握り具合でおにぎりを提供する。読めば読むほどおいしそうだ。
 
世の中、「こんな仕事があったのか!」と驚くことは多い。
自分では思いつきもしなかったが、聞いてみると「なるほど」と唸らされることがある。
 
「北海道にね、憧れの仕事があるんですよ」
ある時、弁護士さんが言った。
「競走馬の契約関係の仕事でね、ああいう競走馬というのは、買い付けとかで大きなお金が動くでしょう。契約とかはきっちりやらないとトラブルになる。あるいは種付けとかも、権利関係はしっかりやらないとね。だから北海道では競走馬関係専門の弁護士がいて、大規模牧場の仕事で悠々やってますよ。時には海外の買い付けにくっついて行ったりしてね。東京だと人間相手のギスギスした仕事ばっかりだから、ぼくなんかはそんなのに憧れますね」
競走馬関係専門の弁護士業、ウラは取っていないが、なるほどこんな仕事もあったのか。
 
「このお店の前はね、ウラジオストク行きの豪華客船で働いてました」
ある時、美容師さんが言った。
「クルーズは長旅でしょう?だから豪華客船には美容室もあるんです。日本とウラジオストクを往復しながら、髪を切ってましたよ」
なるほどこんな仕事もあったのか。
 
「病理解剖専門の開業医ってのがあるんですよ」
ある時、H先生が言った。
「不審死の場合、本来、剖検や司法解剖といって警察で解剖するじゃないですか。でも、四十七都道府県の警察全てで十分に司法解剖できるマンパワーはない。というより、十分に司法解剖できる都道府県のほうが少ないくらいかもしれない。で、明らかに事件っぽくはないけど、遺族が納得しないケースもけっこうあって、人口が多いけど司法解剖の手が回らない○○市では病理医の先生が開業して、遺族の依頼を受けて剖検して鑑定書を出してるそうです。なにしろ競合がいないというのが大きな利点みたい」
なるほどこんな仕事もあったのか(*)。
 
「ドラマや映画で工場や病院のシーンとかあるでしょ」
先輩のYさんが言った。
「ああいうシーン、なかなか撮るのが大変なんだよね。撮影許可がおりなかったり。一方で、うまく話がまとまると、工場や病院にメリットもある。
たとえば工場とかは連休中に機械を止めて休むけど、その間に撮影すれば協力費が稼げる。だけどテレビ局は工場や病院にツテがないし、工場や病院側もテレビ局に売り込むツテがない。
だからそこを橋渡しするのがぼくの仕事ってわけ」
なるほどこんな仕事もあったのか。
 
世の中にはまだまだ知らない仕事がたくさんある。そんな知らない世界のことを教えてもらって「なるほど」と唸るのもまた、ぼくのライフワークの一つである。

*日本の剖検率は低く(2%とも)、不審死が見逃されているのではないかと医師で作家の海堂尊氏も以前より問題提起している。病理医などのマンパワーが少ないためでもあり、海堂尊氏らは死後にCTなどを撮影して死因を分析するAutopsy imaging(Ai)を推進すべきと主張している。実際にAiを推進する「一般財団法人Ai情報センター」という団体もある。
3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

  • 作者:高橋 宏和
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: Kindle版
 

 

歳なりに歳をとる(4)ル=グウィンと9泊10日の旅

<あなたが生まれた時、あなたは泣いていて、まわりのみんなは笑っていた。
だから、あなたが死ぬ時に、あなたは笑っていて、まわりのみんなは泣いているような人生を送りなさい。>(セルビアのことわざ)
 
「歳なりに歳をとる」ということを考えている。
インドの「人生四住説」の中の「学生期」はとうにすぎ、「家住期」の真っ最中。これからくる「林住期」についてはおぼろげながら模索中である。さて、人生100年時代、人生最後の「遊行期」にはどんな風景が見えてくるのだろうか。
 
「遊行期」という文字で浮かぶのは芭蕉が病床で詠んだ<旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る>である。詩人が削りに削って磨き上げた句を語り過ぎれば野暮だから、なんともいえず良い、とだけ言っておく。
 
「遊行期」にどんな心持ちになるかという話。
ル=グウィンは八十一歳を前にこんなことを書いている。
 
<ほとんどの年寄りは、自分が年寄りであることを受け入れていると私は思うー 八十を超えた人が「私は年寄りじゃない」と言うのを聞いたことがないから。そして、彼らはその状況を精一杯活用している。よく言われるように、「生きているだけで上等」だからだ。
年寄りより若い人たちの多くは、老年の現実をまったく否定的に捉え、老齢を受け入れることも否定的に捉える。ポジティブな気分で年寄りに接したいがゆえに、年寄りが現実を受け入れることに我慢ができなくなってしまうのだ。>(アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』河出書房新社 2020年 p.28)
 
「遊行期」の人の高齢を直視して罪悪感を抱きたくないがために、まわりの人は口を揃えて言う。お若いですね、とても〇〇歳には見えませんよ。
だが、ル=グウィンはこうも書いている。

<私の老齢が存在しないと告げることは、私が存在しないと言うのと同じだ。私の老齢を消すことは、私の人生を消すことー私を消すことだ。>(上掲書p.29)
 
なるほど、あるがままに老齢を受け入れる、ということも必要になってくるのだろうなあ。
たしかに自分が80歳になったら、「お若いですねえ」と言われるより「よい人生を送ってこられましたねえ」と言われたい。一文字違って「よく人生を送ってこられましたねえ」だとイヤだが。
**********
 
唐突に、空想の中で9泊10日の旅に出てみる。行き先はまだ見ぬ異国。行き当たりばったりの旅だ。
 
9泊10日の、最初のうちはどう過ごそう?
何しろ行き当たりばったりの旅なので、現地の言葉もわからない。何をすれば周りの人から喜ばれ、何をすれば怒られるのかもわからない。
おそらく最初の一日ふつかは、まわりをきょろきょろと見まわして見よう見まねでその土地の風習を覚え言葉を習い、ガイドブックを買い求めて学ぶだろう。
 
数日経つとだいぶ現地にも慣れ、そこらへんを歩きまわれるようになる。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、時には飯屋でぼったくられたりして痛い目にも遭う。もしかしたら路上の気の合う人と会い、旅の道連れもできるかもしれない。旅は道連れ世は情け、なんて言いますしね。
 
そうこうするうちに数日はあっという間に経つ。気が付けば旅の後半だ。
この間ここに来たばかりなのになんて思いながら、残りの4、5日をどう過ごそうかと思案する。
旅の2、3日目に見つけたあの路地が居心地よかったから、あの路地を根城にまったり過ごそうか。もうちょっとあちこち行くのもいいなあ。
でも旅の残りは見えてきているし、あまり右往左往もできない。だいぶこの土地になじんだつもりだが、なんとなくしっくりこないところもある。でもまあそんなもんか。とにかくできるだけいろんなものを見てやろう。あっという間に旅の最終日が近づき、8日目になる。まだまだ旅の途中な気もするが、旅の道連れも先に帰った。また一人になった。
帰り支度もしなきゃならないし、要らないものは整理しないとな。
 
お世話になった地元の人に少しばかり置き土産をしていきたいし、帰りは荷物は少ないほうがいい。あまり多くの土産は持てないけれど、みやげ話だけはたくさん仕込んだ。
 
9泊10日はあっという間に過ぎ、いよいよ最終日だ。帰り道の迎えが来るのは何時くらいかは聞いていない。
まだ名残り惜しいが、まあでも良い旅だったな。この土地に何人か友達もできたしな。おや、そろそろ迎えが来たようだ。さよなら、再見、また会いましょう。シーユー、アスタ・ルエゴ、また後で。オルヴォワール、グッドバイ、アディユー、神の御もとに。
 
人生は旅だと誰かが言った。
旅が人生の比喩ならば、人生100年は9泊10日の旅だ。
よくわからないままこの世に生み落とされ、見よう見真似でなんとかこの世に居場所を作り、なんとはなしに居心地の悪さを感じつつそれでも過ごしてゆく。
どこから来てどこへ帰るのかもわからぬまま、一人でこの世を訪れて再びどこかへ帰ってゆく。旅の目的もわからぬまま、ひととき地上に滞在しているだけだ。一人ゆくこの道は、どこに続いているのだろう?
 
漂泊の俳人、山頭火が言った。
〈まっすぐな道でさみしい〉
 
人生が旅だとして、9泊10日の旅を続けられないこともある。途中で旅を切り上げなければならないことも少なくない。迎えがいつ来るかは、誰にも分からないのだ。
 
みなさま、道中ご無事で。しばし、ご歓談を。
(続く)
3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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  • 作者:高橋 宏和
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: Kindle版
 

 

 

歳なりに歳をとる(3)理想のおじさんは46歳から。

徒然なるままに「理想のおじさん」について考えている。
 
浪人生のころ、電車からいつも眺める風景があった。
平日の昼間、都心の駅のすぐ目の前で、釣り人たちが釣り糸を垂らしている。
まわりのオフィスを忙しげに人々が行き交う。
釣り人たちは動かない。
時折、水面が揺れる。
ぼくは遅刻して、予備校に向かう。
電車は走る。
 
あの釣り堀の釣り人たちはいったい何者なのか。
ずっとナゾだったが、やっとナゾが解けた。
平日の昼間、すっぽりと現実から抜け出して釣り糸を垂れていたあの釣り人たちこそが、「おじさん」だったのだ。
 
〈鴨長明は五十歳を過ぎて京の街を離れ、自然のなかに独り住んだが、彼がそこに求めたのは俗世間の掟にしばられない精神の自由であった。〉(五木寛之『林住期』幻冬舎文庫 平成20年 p.21)
 
上掲書によれば、古代インドでは人生を四つの時期に分けたという。
心身を鍛えて学ぶ「学生期(がくしょうき)」、これは「青春」である。
働き、家庭を作る「家住期(かじゅうき)」、これは「朱夏」だ。
そして仕事や家庭が一段落したら、世俗を離れ林に住まう「林住期(りんじゅうき)」、「白秋」がやってくる。
最後はその住まいすら離れ永遠の旅立ちへと向かう「遊行期(ゆぎょうき)」、「玄冬」の時期がやってくる。
五木氏は、人生後半戦の「林住期」こそ人生のゴールデンタイムではないかと問いかけた。
 
現実社会のしがらみから抜け出して、平日昼間に都会の真ん中(やや東寄り)で釣り糸を垂らしていたあの「おじさん」たちこそは、まさに人生の林住期を謳歌していたとは言えないだろうか。
少なくとも浪人生のぼくにとっては、あの光景はいわば「ファンタジー」に見えた。
電車の窓からあの光景を見てから30年、ぼくはやっとその釣り堀を訪れることが出来た。
釣果は無かったが、ひととき「ファンタジー」の住人になれただけで大満足である。
 
そう、少年にとって「おじさん」は「ファンタジー」なのだ。
 
「ファンタジー」とは何か。
ル=グウィンがこんなことを書いている。
 
〈そのあり方でなくてもいいーそれがファンタジーの主張することだ。「何でもいい」とは言わない。それは無責任だ。2たす1が5だの47だのになったら、物語の帳尻が合わなくなる。ファンタジーは「あるのは無だ」とは言わない。それはニヒリズムだ。そしてファンタジーは「こういうふうであるべきだ」とも言わない。それはユートピア的理想主義で、ファンタジーとは別の企てだ。ファンタジーは改善を目指すものではない。〉(アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』河出書房新社 2020年 p.112)
 
慌てて書き足すと、ル=グウィンの上掲パートはあくまで「ファンタジー」そのものについて述べたもので、「おじさん」について述べたものではない。「少年にとっておじさんはファンタジー」というのはぼくが勝手に言っているだけだ。
いわばぼくの思いつきだが、それでもこの思いつきは魅力的に見える。
 
親の規範や友人達からの束縛にガチガチに縛られた少年に対し、「おじさん」は「そのあり方でなくてもいい」と告げる。
ファンタジー世界だからといって理由も無しに2たす1が5だの47だのにならないように、「おじさん」世界にも「おじさん」世界なりのスジの通し方はある。
だが閉塞感にアップアップしている少年に対して、「おじさん」は「そのあり方でなくてもいい」ということを自ら示す。平日の昼間に都心の釣り堀で釣り糸を垂れてみせることで、少年の世界に風穴を開けるのだ。
 
そうした理想の「おじさん」になるためには余力と諦観とセンスが要求される。
余力が無ければ余計なことは出来ないし、「よくも悪くも人生こんなもんだろ」という諦観が肩の力を抜く。風穴開けた先が今より悪い世界だったら絶望的だから、どうしたってセンスは必要だ。
 
「歳なりに歳をとる」ことは簡単ではないけれど、ぼくなりに理想の「おじさん」像は見えてきた。
では、人々はいつから「おじさん」になるのだろう?
五木寛之氏は、人生のゴールデンタイム「林住期」を50歳から75歳までと規定していた。「林住期」に入る数年前から準備しないといけないから、理想の「おじさん」は46歳から始まると言えよう。
なぜ46歳かって?
おぼろげながら浮かんできたんです、「46」という数字が。
(続く)

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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  • 作者:高橋 宏和
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歳なりに歳をとる(2)ナナメの関係性とセイントおじさん。

「歳なりに歳を取る」話。
 
良い地域には、ナナメの関係性があるという。
親子や上司部下の関係性をタテ、同年代の友人や同僚との関係性をヨコとすると、子どもが学校に行くときに近所のおっちゃんが「ヨッ!元気か」と声をかけて見守るようなものをナナメの関係性と呼ぶ。
ナナメの関係性では直接の利害関係も責任もない間柄の、年代の違う人同士がゆるく薄くつながる。そうしたゆるく薄くつながるナナメの関係性が多層的に存在するのが良い地域という考えかたがあり、ここらへんは「強い紐帯を一つだけ持つより、弱い紐帯をたくさん持つほうが生存には有利」という話とつながるのだろう。
 
徒然なるままに理想の「おじさん」像を追求しているのだが、「おじさん」こそはまさにナナメの関係性を担う存在だ。
ガチガチの親子関係というタテやニッチもサッチもいかない友人関係というヨコにがんじがらめになった子どもや若者に、「こういう考え方や生き方もあるぜ」とオルタナティブをナナメからそっと提供し、閉塞に風穴を開けるのが「おじさん」だ。
「おじさん」の開けた風穴から、やっとのことで息を吸える子どもや若者もいるだろう。風穴からは、ここではないどこかが垣間見える。
 
「おじさん」は近所にいなくてもいい。
物書きの書いた一行、ミュージシャンの奏でたひとフレーズが、タテとヨコに絡みとられた子どもや若者を取り巻く壁に小さな風穴を開ける。どんなに小さな風穴でもそこで息が出来る。いつかその風穴を広げ、広い世界へ脱出できる、かもしれない。
あるいは繁華街の片隅の「おじさん」が、子どもや若者の閉塞に風穴を開けるかもしれない。
繁華街の片隅、半地下の店。
アバンギャルドなインテリア、見るから寿司屋のカウンター。7年前のフライヤー。選曲極めてマニアック、イチオシ特製焼きそば。そんな店に、聖なるおじさんはいる。
ぼくは、そうしたセイントおじさんを目指したい。
そのために必要なのは何か。余力と諦観とセンスではないだろうか。
 (続く)

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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  • 作者:高橋 宏和
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語られぬものにこそ。

コロナで苦しんでる患者さんの話や、コロナのせいで救急車の搬送先が何時間も何時間も見つからず本来だったら助かったはずなのに助からずに亡くなったり重度の後遺症を負ってしまった患者さんの話は、医療関係者ならいくつも胸にしまってある。
多くの医療関係者がそれを直接的にSNSに書いたりしないのは、良心と職業倫理と守秘義務からです。
コロナの犠牲者はたくさんいます。
SNS上で見かけるものだけが、世界の全てではない。
SNSや変な動画などweb上で見かけるものだけで世界を分かった気になるのは、大きな間違いです。
コロナのせいで引き起こされた多くの悲劇を目にした心ある医療関係者は、自らの良心と倫理観に従って沈黙を守り、今日も粛々と己の責務を果たしています。

歳なりに歳をとる(1)<若い時に若かった人は仕合せである。>と『パリのすてきなおじさん』

〈若い時に若かった人は仕合せである。よい時期に成熟した人は仕合せである。人生の冷たさを年とともにだんだん我慢することのできた人、風変わりな夢に打ち込まなかった人、社交界の衆愚を避けずに暮らせた人、また二十歳では、伊達者よ、おっちょこちょいよ、と言われ、三十歳で有利な結婚をし、五十歳で公私の義務から解き放たれた人、名誉と金と官位を順ぐりに、おだやかに手に入れた人は仕合せである。〉(プーシキン『オネーギン』岩波文庫 1962年 p.138)
 
年齢と人間的成長、あるいは加齢について考えている。
 
つらつら考えるに、大事なのは「歳なりに歳を取る」ということなのかもしれない。
若いうちに変に大人びたり、逆に歳をとって変に若ぶったりするというのは、どこかしら歪みを生む。
その歪みこそが「個性」と呼ばれるものだったりもするから一概にいいとも悪いとも言わないが、もし何も考えずに「仕合せ」になりたければ、若い時には若く、大人になれば大人として、高齢になれば高齢なりに自然に生きていくのがよいのかもしれない。
 
行き先も決めずに書いている。
先日、「高校生の時から毎月数千円を貯めて運用していけば、社会人になったときには◯◯万円になる」というようなツイートを見かけた(元ツイートはうまく見つけられない)。
それに対し、「大人から見ればバカバカしいムダ使いでも、高校生のころ数千円をケチってバカバカしい体験をしないほうがはるかにもったいない」というような反論が湧き、もっともだと思った。
高校生にとって数千円は大金だ。その数千円で友だちと遊びに行ったりすればその体験はプライスレスだが、大人になると時間が無かったり体力がついていかなかったり、とにかく若い時にお金で出来る体験をしないのはもったいない。ぼくなんかもこの間、ミスタードーナツの食べ放題に誘われたけど、全く心が動かなかった。エンゼルフレンチ一個でいいです…。
 
インフレ傾向の社会とデフレ傾向の社会ではまた違うのかもしれないけれど、若いときにバリバリ稼いでセイブマネーして早めに引退するというFIREとかもどうなんすかね。若い時にしか出来ないこともやっぱりあるよなあ…。

 

*******
「反省はしろ。後悔はするな」
世界のシューゾー松岡の言葉らしい。
過去の失敗を反省しないのはいけないけれど、クヨクヨと後悔していても仕方ないということだろう。良い言葉だと思う。

「歳なりに歳を取る」という話をしている。
反省はしていないけれどちょっとだけ後悔していることがある。若い時に若くなかったことだ。
20歳を越えるまで『ライ麦畑でつかまえて』を封印していたし、25歳を越えるまで『エヴァンゲリオン』を観ていなかった。
村上春樹を自らに解禁したのは30歳のときだったし、いわゆる自己啓発本的なものは40歳手前まで避けてきた。
いずれも引力が強そうで、自分がその世界に取り込まれそうな恐怖心があったからだ。
その結果、それらのものを「情報」として処理してしまい、「体験」と出来なかったのではないかという疑念がある。

たとえば10代や20代前半のときに『ライ麦畑』や『エヴァンゲリオン』、村上春樹の世界と触れていれば、どっぷりとその世界にはまり込むことが出来、また別の人格が形成できたのではないか。反省はしていないがちょっぴり後悔している。

しかしながら「他人と過去は変えられない」。
そのちょっぴりのほろ苦い後悔を次に活かすにはどうするか。
やはり次は、あるべき「おじさん」の姿を追求すべきではないか。

本来、自称としての「おじさん」というのは好きではない。
「おじさん」というカテゴリーに逃げ込んで、「オレもおじさんだからさー。仕方ないか」という言い訳をして自己変革を拒否し現状に安住しようとする響きを感じるからだ。
「おじさま」とでも呼ばれれば、やつはとんでもないものを盗んでいきました、あなたの心です、なんて展開もあるかもしれないが、何言ってんだ銭形。

呼び名の良し悪しはともかく、あるべき「おじさん」の姿とは何か。

〈「少年である僕がいるとする。僕は両親が押しつけてくる価値観や物の考え方に閉じこめられている。(中略)ある日ふらっとやってきて、両親の価値観に風穴をあけてくれる存在、それがおじさんなんです」と、伊丹十三は言った。
あぁ、私が、若かった頃、どれほどたくさんのおじさんがふらっとやってきて風穴をあけてくれたことか。親戚のおじさん、学校の先生、仕事場の先輩、飲み屋のマスター、旅先ですれちがったおっちゃん……。〉(金井真紀『パリのすてきなおじさん』柏書房 二〇一七年 p.2)

上掲書は、そんな風穴をあけてくれるおじさんを求めてパリの路上で片端からおじさん達の人生の物語を聞いて回った本だ。フェミニンな言いかたをすれば、prettyな本である。
たとえばこの本の中で、著者は92歳になるアルジェリア国籍のパリジャン、ムフーブ・モクヌレとこう語りあっている。

〈人生で大切なことはなんですかと質問したら、もじゃもじゃ眉毛がピクリと動いた。
「差別もテロもずーっと昔からある。これからもなくならんだろう。でもわしやあんたのような勇敢な人間もいる」
そう言ってシワシワの大きな手でわたしの肩をポンと叩いた。
「人間を好きにならなければいかん」〉(上掲書p.143)

パリのおじさんはなかなか良いことを言う。ぼくも理想の「おじさん」になるために、まずは空港で自撮りするところから始めたいと思う。
(続く)

1人、本の画像のようです

「武器」や「道具」として言葉を使うということと他言語経験(2)

言葉を「武器」や「道具」だと認識して緻密に扱うということを論じている。
母国語の中だけで生きていると言葉は自分の肉体のように当たり前に存在するように感じられるのではないか。だから母国語世界のみに生きていると、言葉意識して学ぶとか、あるいは使い方次第でコミュニケーションがうまくいく場合といかない場合が出てくると感じにくいのではないかと思う。「大事なのは“心”。言葉はどうでもいい」とかというのは、あえて言えば生ぬるい感覚だと思う。昔から言うじゃないですか、「丸い卵も切りよで四角、ものも言いよでカドが立つ」なんてね。
 
自分の内面に生まれる感情や考えを言葉で表す場合、母国語で表現する場合にはモヤモヤした感情やアイディアが、通常はオートマティックに言語に変換されて口から飛び出す。
しかし他国語やあるいはプログラミング言語や各業界専門用語で表現しようとする場合には、いったん自分の感情やアイディアを自分の外側に出して眺め、「はてどういう言葉を当てはめたらこれが他者にうまく伝わるだろう」と意識化して言葉を探して選ぶプロセスが生まれる。
他国語や各種人工言語を学んだ人というのは、自分の内面をシームレスかつ自動的に母国語に変換する以外のプロセス、すなわち自分の内面をいったん外側に出して眺め、言葉を意識して選択するということを経験する。だから他国語を学んだ人というのは、言葉を天与のものではなく、自ら掴み取りにゆく「武器」や「道具」として意識しやすいのではないか、というのが今回の仮説である。
 
これはなにも外国語に限らない。
当代一流の「言葉」の使い手として「お笑い芸人」の方々がいるが、その中でも「言葉の達人」「ワードセンス芸人」の一人が南海キャンディーズの山里亮太氏であろう。
山里氏の、言葉を「武器」や「道具」として意識し厳選しお笑い界でサバイヴしていく感覚というのは、10代後半に関東から大阪弁世界に飛び込んで勝負してきたからこそ得られた感覚だと思う。
関東弁がポロッと出るたびに「出た、関東弁!キショ!(気色悪い)」などといじられていれば、言葉が世界に受け入れられるための「道具」であり生き抜く「武器」であると意識せざるを得ない。山里氏は大阪で生き抜くため、大阪弁のCDを買い「なんでやねん」のイントネーションをトレーニングしたという(本当。「たりない二人」で言ってた)。
 
もちろん何事もいいことばかりではない。
日本語世界で、超トップクラスの精緻な日本語の使い手として故・米原万里氏がいるが、米原氏は〈(略)「感心しましたわ、日本語が立派で!」「隅から隅まで非の打ち所のない日本語。額に入れて飾っておきたいくらい!」「きちんとした美しい日本語をお使いですね」(略)〉と褒められるたびに少しがっかりしたという(米原万里『心臓に毛が生えている理由』角川文庫 平成二十三年 p.129-130)。
褒められたのになぜがっかりしたかというと、きちんとした日本語と相手に言われるということはまだ崩せるほど日本語が身についていないということだから、というのが米原氏の認識であった。
 
母国語世界のみで生きていると言葉をのびのびと、多少崩しても自然に使える。
多国語話者にとってはそれが時に眩しく見え、自らの「きちんとした」言葉使いが堅苦しく未熟に感じられる。多国語話者には多国語話者の見えない努力とコンプレックスもあるわけで、だからぼくは幼少期からの安易なバイリンガル、マルチリンガル教育を手放しで礼賛するつもりは全くない。メリットもあればデメリットもあるものだと思っている。
 
〈清之輔  ……それでは何故(へータラナシテ)、全国統一話し言葉チューものが必要なのか。まず、兵隊に全国統一話し言葉が要るのヂャ。たとえばの話がノータ、薩摩出の隊長(テーチョー)やんが、そこに居る太吉の様な津軽出の兵隊に号令ば掛けて居るところを考えてミチョクレンカ。隊長やんが薩摩訛りで「トツッギッ(突撃)!」と号令した。太吉、今の号令、何のことか分かったかノ?〉(井上ひさし『國語元年』中公文庫 2002年 p.71-72。初出は一九八五年)
 
さて、ことのはじめは新橋の地下だった。
友人らと鴨をつつきながら、「なぜ日本の政治家は、アメリカや台湾の政治家のように人の心を動かすようなスピーチが出来ないか」という話題になった。
知的フェアネスのために書くと、近年でも小泉純一郎氏の言葉は有権者の心を動かした。方向性はともかく。
また、安倍晋三氏が真珠湾で行ったスピーチは、「死力を尽くして戦ったライバルが、時を経て友となる」という人類受けする物語を提示することによって、アメリカにおける日本の立ち位置を永遠の敗戦国から「希望の同盟」国へと書き換えた。言葉によって状況を変えた見事なスピーチで、ぼくはこれはチーム安倍晋三の偉大な功績だと個人的に思っている。
 
寄り道から戻る。
見事なスピーチを行うには、言葉を自らの生存確率を高め、周囲の人の心を動かすための「道具」や「武器」と認識し、言葉を厳選し磨き上げることが必要なのではないかと話を進めた。
そして言葉を「道具」や「武器」として認識するには、他言語や他文化との接触が有用なのではないかと考えた。
翻って考えると、日本でも過去に言葉を「武器」に論戦を闘わせる文化があった(し、今もあると信じる)。
浅学非才がバレるので例を挙げるのが憚られるが、板垣退助、斎藤隆夫、川上音次郎…言葉を「武器」「道具」として認識して戦ったし、昔は政治家の演説をレコードにしたものが全国津々浦々でこぞって聞かれた(本当。この部分、もっと文献的に強化しないといけませんね)。
 
戦後の国会でも、しばらくの間は、党議拘束などにしばられず一人一党の精神で自由に政策論争を行う「自由討議」というものがあって、当時29歳の若き田中角栄などが爪痕を残している(若宮啓文『忘れられない国会論戦』中公新書 1994年 p.214-232。国会での「自由討議」は、昭和30年にひっそりと廃止されたという)。
 
で、ここから先は「思いつき」なんですけどね、そうした明治以来から戦後しばらくの人々というのは、今は「方言」として扱われているそれぞれの地方の言葉を「母国語」として心を育み、その上で「他国語」としていわゆる「標準語」を学んだのではないか。そしてその結果、言葉を「道具」「武器」として認識し得たのではないか。
江戸時代というのは、全国諸藩からなるマルチリンガル、マルチカルチャーの世界であり、その中で生き抜いた人々というのは、まさに言葉を「道具」「武器」として捉えて磨いていったのではないだろうか。
証明のしようがないので仮説とは呼ばず「思いつき」と呼ぶが、ちょっと面白い思いつきなので書いてみた。ご意見いただければ嬉しいです。
 
あと、言葉に関心のあるかた、井上ひさしの『國語元年』は面白いのでおすすめです。

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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