『人生の幸福度は47~48歳が最低』とのこと~40代後半に思う(その1)

https://www.fnn.jp/articles/-/22769?fbclid=IwAR0zC1kaN3qEf7bFJlJiJosHp-xDWN01CRocL5Sc9RjHLaAhdo6jfXKAjrg

アメリカ・ダートマス大学のブランチフラワー教授らの研究によれば、人生で最も幸福度が低いのは47歳くらいなんだといいます。

www.fnn.jp

僕自身も40代後半、逃げも隠れもしないミドルエイジでまさに他人事ではありません。

40代後半になると思うところもいろいろありまして、人生の中締め的に総括も兼ね思うところを。10代の日々が二度ないように、40代後半の日々も二度とないわけですから、しっかりと味わわないとね。というわけで、ギミック無しオチ無し、egotism(オレがオレがという語り口)多めです。

 

まあなんと言いますか、40代後半はいろいろとキますね。伊丹十三がかつてこんなことを書いてました。
〈夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。〉(『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫p.274)
職業人としても家庭人としても、〈真中まで漕ぎ出してしまって〉行くにも帰るにもまだまだ漕いでいかなければならないような、ニッチもサッチもいかないようなそんな感じが40代後半なのかもしれません。
そんなことを書きながらも、淡々と日々を送る生活スキルはさすがに身についていますのでご心配なく、ではありますが。


なんというか、元気は元気なんですよ。

ミドルエイジクライシスなんて言葉がありますが、いざ自分がその年代まっただなかになると思うのが、「はてさて、これからどうやって人生を送っていったものだろうか」ということです。
そんなときに助けになるのはやはり先人の言葉です。
内村鑑三が明治27年に若きキリスト者たちにこんな問いかけをしています。


いつの日か我々は、魂の学校たるこの世界を去らなければならない。その時に、我々は、この地上に何も遺していかなくてよいのだろうか、遺していくとしたら、何を遺していけるのだろうか、と(『後世への最大遺物』岩波文庫)。

 

自分語りは控え目にするほうなんですが、40代後半の思いをつらつら書いております。

年若き友人の方々は「ふーん40代後半ってのはそんな心境かいな」、同世代の方々は「あるある」「オレは違うぜ」、諸先輩方におかれましては「まだまだ甘いな、人生の底はもっと深いぜ」などと思っていただければ幸いです。まだ深いのか、底。

 

さて40代、特に後半になって去来するのは、「これからの人生、どうするかなー」という思いです。
人生100年時代、まだまだ先は長い。
かといって、これからアイドルになれるわけでもなく、現実的には選択肢に範囲はある。
まったく新しいことにチャレンジしてもいいが、それこそ現実的には新しい選択肢に賭け金全てベットするわけにもいかない。
まだまだ悩む必要性も、悩むことの出来る可能性もあるのが40代でございます。

 

ぼく自身は(egotism開放)、40代手前までいわゆる「人生読本」を封印してきまして、というのは影響受けすぎるのがイヤだったからです。
40代が見えて初めて、ああした「人生こうすべし」的な本に手を出しました。車輪の再発明がごとく、手本見本になるものはなんでも頼れという心持ちになったからです。

「これからの人生どう送ろう」という課題に対し、今いちばん影響を受けているのは内村鑑三『後世への最大遺物』です。

 

明治27年、箱根にて、内村鑑三は若きキリスト者たちにこう問いかけました。
魂の学校たるこの地上に生まれ出て、我々は何を後世に遺してあの世に行けるだろうか、と。

 

内村鑑三が言った、後世に遺していけるものでまずいちばん良いのは、実は「お金」。
内村鑑三は言っています。
諸君、フィラデルフィアに行ってごらん。そこには立派な孤児院がある。そこには七百人もの孤児がいる。下手したら千人以上おるかもしらん。
これは、フランスのジラードという商人が、〈「妻はなし、子供はなし、私には何にも目的はない。けれども、どうか世界第一の孤児院を建ってやりたい」〉(前掲書 岩波文庫p.22。「建ってやりたい」は原文のママ)と願って、ひたすら働いて一生涯貯めたお金で建てたものだ。
このように、正しいやり方で稼いだ貯めたお金を後世に遺していくのが一番いい、と内村鑑三は明治27年の日本で言っているのです。
もちろんこれは「ツカミ」「前フリ」でまだまだ話は続くのですが、それはともかく、後世に遺す良きものの第一が「お金」って若きキリスト者に平気で言っちゃうとかってあげぽよでカンゾーまじうけるんですけど(すみませんでした。続きます)。

 

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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  • 作者:高橋 宏和
  • 発売日: 2016/02/20
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「サラダ油が認知症の原因だが、業界の圧力により隠ぺいされている」というデマをHagex流に検証する。

「サラダ油が認知症の原因ってホントですか?T教授が動画で言ってました。サラダ油が認知症の原因なんだけど、スポンサーの圧力があるから、テレビでは言えないし、国もサラダ油業界をつぶせないってT先生が言ってました」
そんなことを患者さんに聞かれた。
先に言っておくと、これはデマであろう。少なくともサラダ油業界の圧力があって国が業界をつぶせないというのは明白なウソだ。

 

ネットを中心にはびこるデマは無数にあるが、シンプルな見分け方というのがある。
もし本当にその話が真実であったなら、何が起こるかを想像してみるというものだ。凶刃に倒れたネットウォッチャーのHagex氏が提唱した方法だ。

 

 

「サラダ油が認知症の原因だが、サラダ油業界の圧力によって隠ぺいされている」というデマについてHagex流に検証してみる。

2020年3月4日配信の食品新聞ニュースによれば、家庭用食品油全体の業界規模は1500億円程度。これはオリーブオイルやアマニ油も含む。
https://shokuhin.net/29256/2020/03/04/kakou/yushi/%e9%a3%9f%e7%94%a8%e6%b2%b9/


対して、2014年時点での我が国の認知症に対する医療費は1兆9114億円、介護費用は6兆4441億円だという(佐渡ら「わが国における認知症の経済的影響に関する研研究」https://mhlw-grants.niph.go.jp/niph/search/NIDD00.do?resrchNum=201418007A

より)。
経済的負担が全てではないにせよ、2014年時点で認知症により8兆円以上の医療介護費用負担が社会に対して生じている。
常識的に考えて、1500億円規模の業界を保護するために8兆円以上の「損失」が見逃されるだろうか。

 

「教授」という肩書きを利用し、社会を惑わせる言説を垂れ流しているT氏は非常に問題であるなあ。承認欲求が高すぎるのであろう。

「大学教授」という肩書きがあるからといって、主張してることを全て鵜呑みにすると身の破滅を招く。
K大学医学部助教授の肩書きで長年に渡り「がんもどき」を売るK氏の例もあるし、ライナス・ポーリングなんか2回もノーベル賞もらっておきながら『ビタミン・バイブル』とか書いて人心を惑わせてるしなあ。ラーメン大学とかパチンコ大学とかの教授ポスト空いてないかなあ。

 

閑話休題。
本来ならばきちんと実名を出して批判すべきところだが、批判検証のためにT氏の動画を見てみたら、独善的・断定的な物言いに胸焼けがして最後まで見るのを断念してしまった。
まあ放っておいてもこうしたデマ動画は、そのうち火がついて大炎上するだろう。油の話だけに。

 

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その上司は言った。「お前は会議の時にしゃべるな。宴会の時にはモノを食うな」

「新人の時に上司に言われたんだ。『お前は会議の時にしゃべるな。宴会の時にはモノを食うな』」
友人Oが言った。

 

「はじめは何でそんなこと言われたかわからなかった。
会議の時だって発言したくてウズウズしたし、取り引き先との宴会だって、間が持たないしさ。
でもね、そうやって何ヶ月も会議でしゃべらず、宴会でモノを食わずにお酌だけしてるとさ、見えてくるんだな、『流れ』みたいなものが。

 

会議でも、あ、今あの人がこう言ったことで全体の『流れ』が変わったな、とか、あの人はずっと黙っているけど最後に決断する人はあの人だな、とか。同じような発言でも、発言するタイミングで与えるインパクトが全然違う。

 

宴会だって、モノを食っちゃいけないから間が持たない。間が持たないから取り引き先とかを観察してると、やっぱり見えてくる。
あの人のグラスが空いたとかだけじゃなくて、あの人は今退屈そうだなとか、あの人楽しそうだけど周りが見えてないなとか。

 

そうやって上司に命じられたまま会議で発言せず宴会でもモノを食わずにいて『流れ』が見えるようになったころ、上司に言われたんだ。
『おいO、もう会議で発言していいぞ。宴会でモノも食っていい』」。

 

学生時代から物怖じせずアクティブなOは、ビジネス修行時代に『流れ』を『見る』ことを学んだ。
上司は上司で、Oの変化や成長を、じっと『見て』いたのだろう。
どこにでも、修行の場というのはあるものである。

 

insired by (2ページ目)↓

ジブリが「調べるよりも記憶」を大切にする理由 | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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他者の仕事のプロセスに思いをはせるには、経験と訓練を要する。

「96歳の退院後の男性に、深夜にラーメンを提供した」という介護事業所の記事をマクラに、「人間は、他者の仕事の表面に表れる成果だけを見てプロセスは悲しいほど見ない」という習性について書いた。

 

www.hirokatz.jp

 


人間に与えられている時間も脳ミソの情報処理能力も有限なので、これは無理もない現象だ。森羅万象身の回りの全ての物事のプロセスに思いをはせていたら、時間がいくらあっても足りない。
だが、与えられた状況に流されるのをよしとせず、己の道を行こうとするならば時に人間の習性に逆らわなければならない。人の行く 裏に道あり 花の山。

 

この場合には、他者の仕事の表面上の成果だけでなく、プロセスにも思いをはせる、ということである。それだけで差がつく。
プロセスを言語でうまく解説した「how to」モノの本や番組や動画はいつの世も需要がある。
功成り名を遂げた人の、成功までのプロセスを書いた自伝や「私の履歴書」は人々の興味を引く。
作家・伊集院静氏は夜の街でよくおモテになるそうだが、モテの極意として「その女性にも、育てた親がいることを忘れずに接する」と語っていた(気がする)。表面上の華やかさだけでなく、育ってきたプロセスをも尊重するということだろう(まあ金払いもいいんでしょうが)。
表面に表れるものの裏にはプロセスがあり、そのプロセスに思い至ることが出来れば、周囲と大きな差がつく。

 

やや脱線した。
他者の仕事の表面上の成果の裏にプロセスがある、ということを意識するには経験と訓練がいる。
自分で何かやってみた人でなければ、成果の裏にプロセスがあることに気づけない。

自分で何かをやってみた人でも、相手の立場を思わなければ見落としを起こす。
〈世の重大事から、ごくささいなことにいたるまで、たといどんなことでも、他人の行動に口出ししようと思うなら、試しに自分をその場所において、みずからをふり返ってみるべきである。まったく性格の違う職業だったら、その仕事の難易や意味の軽重をよくよくおしはかってみるべきである。たとい種類の違う仕事でも、その仕事の内容にまで立ち入って、仕事の中身を基準にし、自分と他者の立場を比較すれば、そこに大きな誤りは生じないはずなのである。〉と福沢諭吉も言っている(『学問のすヽめ』第十六編 檜谷昭彦・現代語訳 三笠書房 p.196。友人Yにご教示いただいた。感謝)。

 

三十代半ばに、毎朝一生懸命掃除をした時期があった。仲間と毎朝必死で掃除をしていたその時期には、どこかの庭園を訪れても表面の美しさだけでなく、その美しさを維持管理するための労力をありありと想像することが出来た。自分の経験から、敷衍して考えることができたのである。


経験とともに、知的訓練によっても他者の仕事のプロセスに思いをはせることが出来る。
若きMBAホルダーやコンサルの人と居酒屋などに行くと、少しでもイカフライが出てくるのが遅いと「この店のオペレーションのボトルネックと改善方法は」とすぐ議論を始める。あれこそまさに訓練によって他者の仕事のプロセスに思いをはせる典型例であろう。
そういう時に、今ごろ漁船でイカ獲ってるんじゃないのとかまぜっ返すと無視されるので気をつけたほうが良い。

 

このように、他者の仕事の表面上の成果の裏にプロセスがあり、それを意識するためには経験と訓練が必要である。
こうした雑考のプロセスは楽しかったが、この雑考の成果がどこにあるのかは人類最大のナゾだ。カイロ大学からの回答を待つばかりである。

 

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BuzzFeed『深夜に96歳の男性が「ラーメン食べたい」と言ったら、どうしますか?』記事に思う/人間は、他者の仕事のプロセスを悲しいほど見ない、ということ。

介護事業所で、深夜に96歳の男性にラーメンを提供したというツイートが一時的に「炎上」した、というBuzzFeedの記事を読んだ。
非常に良い記事であり、この事業所の取り組みに賛意を示した上で、ピカソとジャッキー・チェンとトヨタの話をしたい。

2020年6月6日

深夜に96歳の男性が「ラーメン食べたい」と言ったら、どうしますか? 「ほどほど幸せに暮らす」を目指す事業者の挑戦

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/grundtvig-ramen?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharefacebook&fbclid=IwAR1NGPvm48PPM5nUDQSjQPxU-oRF2p3nYlmbUMQdtBUHSOMBdyESi7yd1Bk

この記事から想起されることは、
・人生の自己決定について
・医療介護現場におけるゼロリスク神話の弊害
・人間は、他者の仕事のプロセスを悲しいほど見ない
という3点である。

 

前二者に関しては、誰かが語ってくれるから省略する(か後回しにする)。
最後の点について。

 

記事から与えられた情報のみによって書く。
記事によれば、介護事業所が件のツイートをあげた際、「誤嚥したらどうする」「深夜に食事を出して生活リズムが崩れて認知症が進んだらどうする」などという批判が巻き起こったという。

 

だが、記事によれば、件の「深夜のラーメン」に至るまでのプロセスがある。
理念の探求だけでなく、様々な試行錯誤、そしてなにより看護師や介護士、理学療法士などによる嚥下機能の評価や食形態を段階的にアップしていくなど細やかなプロの仕事が為されているのだ。
(当たり前のことだが)退院したばかりの人にいきなりラーメンを提供したわけではない。

 

このプロセスこそが、介護がプロの仕事であるゆえんなのだが、悲しいかなこうしたプロセスの部分というのは見過ごされ、読み飛ばされる。
これはなにも批判者だけでなく、この記事を絶賛している者にも当てはまる。

 

批判者は、隠れたプロセスに思いをはせることなく表面に表れた「退院1週間後の96歳の男性に、深夜にラーメン」の部分だけを見て脊髄反射的に批判する。
賞賛者は、これまた隠れたプロセスに思いをはせることなく「本人がやりたいようにやらせるのが理想の介護!」と褒めたたえる。
「深夜のラーメン」を実現させるために、介護やリハビリのプロの手による細やかなプロセスが存在することに思い至らない。

 

だがこの、「(他者による)表面に表れる仕事の成果だけを見て、そこに至るプロセスが存在することすら気づかない」というのは、悲しいかなおそらく人間の本質であろう。

 

ピカソがファンから求められ、サラサラと紙に絵を描いて言った。
「この絵の価値は100万ドルです」
驚いたファンが言う。「たった30秒で描いたのに、100万ドル?!」
ピカソはにこりと笑ってこう答えたという。
「30年と、30秒ですよ、お嬢さん」
ほんとの話かどうかは知らない。

 

「医者はカゼ薬出してればいいから、誰だって出来るよ」という人がいる。その発熱がほんとにカゼなのか、ほかの病気の可能性はないのかきちんと判断(鑑別診断というやつですね)しているプロセスに思い至らない。
「お笑い芸人は人前でバカなこと言っていればいいから楽だね」という人がいる。観客や視聴者からウケるための”バカなこと”を言えるまでにどれだけの模索や練習があるかというプロセスに思い至らない。
華やかなアクション映画が出来るまでのプロセスは、ジャッキー・チェンの映画のエンディングが教えてくれる。

 

表面に表れる仕事の成果のウラに、膨大なプロセスが存在することに気づくのには、自分で仕事をしてきた経験と、知的訓練がいる。
この訓練として、何かが起こったら「なぜ」「なぜ」「なぜ」と五回遡って考えるトヨタ式のものがあったりする。

 

「プロとして働くなら、他者の仕事のプロセスに常に思いをはせよ。しかしながら、自分の仕事は、表面に表れる部分のみで他者にああだこうだ言われることを覚悟せよ」
というのがこの記事のウラの教訓ではないだろうか。

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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新型コロナがもたらす3つのパラダイムシフト。

自分に使うことを禁じている言葉がいくつかあって、「パラダイムシフト」もその一つだ。
禁じている最大の理由はトーマス・クーンの著作をまだ読んでいないことだが、そもそも「ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み」である「パラダイム」がそんなにしょっちゅう変わってよいわけはないから、そう簡単に「パラダイムシフト」なんて言葉は使わないほうがよい、と思っている。

しかしながら今回は、思わず「パラダイムシフト」という言葉を口走ってしまった。
新型コロナによる社会の変容をオンラインでディスカッションしたときのことだ。

参加者より「医療者として、新型コロナから国民に何を学んでほしいか」という質問が出た。
思わず口走ってしまったのが「パラダイムシフト」である。

 

まとめるとこんなことになる。
新型コロナから学べることは、
・世界がVUCAであること。
・世界が「アッチェレランド」に突入していること。
・ゼロリスクはありえないこと。
である。

 

VUCAはもともと軍事用語で、ぼく自身は山口周氏の著作で知った。
Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったのがVUCAである。
刻一刻と状況が変動し、よくわからず治療法もまだまだ曖昧で、都市封鎖や国内外との人の移動の制限など人間の対策によって状況がどんどん変わる複雑性を持つこの新型コロナ騒動は、まさに世界がVUCAであることを可視化した。

 

「アッチェレランド」はもともと音楽用語で、「次第に速く」という意味だ。英国エコノミスト誌編集部による『2050年の技術』(「はじめに」 文藝春秋 2017年)で知った。
新型コロナはまだまだ未知のウイルスだが、世界中で超急速に研究が進んでおり、一説には世界中で毎週3000本もの論文が出ているともいう(ただし専門家からみると玉石混交らしい)。
治療薬やワクチンの開発もかつてないほどの規模とスピード感で同時並行で行われており、まさにこの状況は「アッチェレランド」にほかならない。
何か一つ発見があればそれは次のいくつもの発見につながり、どこかの国が何か施策を打てばいくつもの国々がマネしたりマネしなかったりする。
打たれた施策が社会にドミノ倒しのように影響を与え、結果が次の事象の原因となり、変化は加速していく。

 

そしてまた、感染リスクを恐れて社会活動をストップさせれば経済リスクが爆増し、経済リスクを恐れて社会活動を再開させれば感染リスクが激増する。
何かを得るには何かを捨てなければならず、もともと生きることにリスクはつきものなのだが、それを新型コロナが痛いほど思い知らせてくるわけである。

 

こうした変化がもし社会に起こり、国民全体がこの認識のもとにこれから生きていくとしたら、やはりこれは「パラダイムシフト」と言わざるを得ないのではないだろうか。

withコロナは、命と経済と人権のトリレンマ。

その国では、ほとんど全ての国民の靴に極小の発信機が仕掛けられている。発信機は政府の要請により、工場出荷時や輸入品ならば税関で極秘裏に靴の中に設置される。店舗やネット販売で靴が購入されるときに使われるクレジットカードの個人情報と紐付けられ、別のデータベースに登録されている家族構成データ(家族の男女や年齢構成がわかる)と自動照合して、どの靴がどの国民によって履かれているかはかなりの精度でわかる。


発信機によりほぼ全ての国民の正確な位置情報や体温(の近似値)がリアルタイムで政府により把握され、必要であれば盗聴もされる。
もし発熱している者がいれば、政府の役人が直ちに駆けつけ、発熱者を「保護」する。「保護」された国民は、「保護」されたまま帰ってこないことも少なくないのだが。
この靴を使った国民監視技術は「IoS」、すなわちInternet of Shoesと呼ばれ、国家の最高機密の一つである。幸い、今のところ中国の近未来SF小説『セレモニー』(王力雄・著 藤原書店 2019年)の中だけの話である。

写真の説明はありません。

念のため繰り返しておくと、冒頭の話は今のところ架空の話である。
だが、ある程度の誤差(現金購入の場合は購入者が特定できない。ただし店の会員カードの情報と紐付ければ可能。また、プレゼント用の靴の場合には情報修正が必要だ。日本のような、室内で靴を脱ぐ生活習慣の国では得られる情報量はわずかに減るが、ベッドまで靴を脱がない国も多いし、そうした国ではIoSは誰と誰が寝室をともにしているか、公然の仲か非公然の仲かを問わず国家が把握できることになる)を許容すれば、技術的には可能だ。


架空の話はここまで。
週末に、新型コロナと社会的影響についてオンラインでディスカッションする機会を得た。
その中で意識化されたのが、withコロナというのは、命と経済のジレンマだけではなく、命と経済と人権のトリレンマであるということだ。
見えないウイルスの脅威の存在下では、究極的に命を守るには他者との物理的接触を断たなければならない(もちろん極論だ)。
そしてこの外出自粛期間に痛感されたように、経済を回すには他者との物理的接触がほぼ不可欠だ。他者との物理的接触なしにガンガン経済を回せるものと言ったらオンラインゲームくらいしか思いつかない(ネトフリとかありますけど、制作段階まで考えるとね)。
そこに命と経済のジレンマがあるのだが、思考実験として大幅に人権を制限すれば(あくまで思考実験ですよ、念のため)、かなりの程度、命と経済を両立できる、というかできてしまう。


あくまで思考実験だけど、サーモグラフィーであらゆる場所で国民の体温を計測しデータベース化し、発熱者を「保護」し、同時に発熱者の行動履歴から過去14日に渡って接触した者を洗い出して、それぞれの者を「保護」して巨大施設で社会から「ソーシャルディスタンス」すれば、かなりの程度、コロナ下で命と経済を両立できてしまうだろう。
googleとアップルの共同開発アプリ「コロナ濃厚接触通知アプリ」とかはまさにそういう思想に基づいた設計なはずだが、あまりそこらへんは言われない。

k-tai.watch.impress.co.jp


冒頭の小説のテーマの一つは、どんなに科学技術が進歩しても、技術と社会の「結節点」である人間の賢さ愚かしさにより事態は良くも悪くもなるというものだった。
新型コロナ存在下で、命と経済と人権の「結節点」である我々は、どう振る舞うのだろうか。

 

付記)友人Mに教えてもらったけど、下水中の新型コロナウイルスを分析することで地域の感染状況を把握するという研究もおこなわれていると。裏取りはこちら↓

www.metro.tokyo.lg.jp

現実的な政策としてはまったく反対しないし、臨床医としては賛成。

ただし、下水採取を細かくやっていけば、理論上はどの家にコロナ感染がいるかは把握できる。身体情報は究極の個人情報であり、身体情報を無制限に他者に把握されるということは、「あそこの家からコロナが出たらしい」とか近所で噂されるとか、「あいつの家族がコロナになったから仕事はクビだ」とかいう状況を作りうることだから、ほんとはおっかないことだ。
要は、身体情報を突き詰めていくと究極の個人情報につながる、ということを意識できるかどうかですな。

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