ピンクのクラウン・タクシー、乗るか否か。

朝からエラいものを見た。ショッキング・ピンクのタクシーである。
以前にニュースになった、どピンクのクラウンのタクシー版だ。あんな色のタクシーは初めて見た。

 

それで考えたのは、このタクシーに乗るべきか否かであった。全然乗る必要のないタイミングだったが、一瞬「話のタネに乗るべきではないか」と思ったのだ。

 

立場を替えていえば、タクシードライバーにとってどピンクの車体は吉か凶か、ということである。
目立つことで普通より多くの顧客を拾えているのかもしれないが、コモディティビジネスには没個性の安心感というのもある。ユニクロなどのノームコアファッションなどが代表だ。
ピンクの車体だからといって通常の3倍の速度を出すわけにもいくまいし、たとえば葬儀がえりの客には敬遠されるだろう。

 

一方で、目立つことで酔狂な客を拾えるかもしれないし、路上で目立てばもらい事故の確率は下がるだろう。タクシードライバーが個人タクシーとして独立するためには何年間か無事故でなければならないはずで、事故率が下がるのは独立を望むドライバーの場合にはものすごく重要なことだ。

 

またフリーの客を拾って気に入られれば、次回から「ピンクのタクシー」として指名してもらえるかもしれない。
日本ではピンクというといささかエロティックな響きを持つが、欧米人客はピンクというと顔色の良さなどから健康的なイメージを持つだろう。中国人観光客は派手好きが多そうだし、ピンクから東アジアで好印象のピーチを想起するかもしれない。一方で、外国人観光客にとって、ほかのタクシーとあまりに違うがゆえにタクシーと認識されないリスクもある。

 

考えれば考えるほど訳がわからなくなる。こうなったら実際に乗ってみてドライバーに直接きくしかない、と思い切って手を挙げたが一瞬遅かった。
全身どピンク色のスーツの、甲高い声で大変にぎやかなご夫妻にタクシーに先に乗り込まれてしまったのである。
とても残念な出来事で、こういうのを「全てがペーになる」というのであろう。合掌。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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統一地方選、戦後最低の投票率ーもしインターネット投票が導入されたらなにが起こるか。

先日の統一地方選投票率は残念ながら戦後最低だったという。新聞によれば、市議選の平均は45.57%とのことで、半数以上の人が選挙に行かなかったことになる。

 

投票率が低いとエキセントリック過ぎる人が組織票で当選してしまったりするのでやはりある程度は投票率が高いほうがよい。しかしながら投票率を上げるための試みというのはなかなかうまくいかないようだ。

 

投票率が下がる理由としては、個人が投票に行くというコストに対して直接的に得られるメリットが少ないから、ということになっている。
だから投票率アップを目指して商店街と連携したりして、投票に行った人にはおまけをつけたりする。日曜日の自由な時間を投票所に行くために使うというコストに見合うよう、なにかしらのインセンティブをつけるという考え方だ。

 

これは成功例もあって、ハワイでは、住民投票に来た人は誰でも一大バーベキュー・パーティに参加できてカニとかを食べ放題にしたところ投票率が上がった例があると山形浩生氏がひろゆき氏に話していた(井上トシユキ他『2ちゃんねる宣言』株式会社文藝春秋 2001年 p.260-262。この話はもっと面白い側面があるがそれはまた)。
山形浩生氏は別の媒体で、「一人500円くらいあげたら投票率あがるんじゃないの」と書いていた。

 

コスト>>>インセンティブという構図が問題なので、投票に行くという時間的・行動的コストを下げるという考え方もある。例えばインターネット投票の導入だ。
だがしかし、このインターネット投票はおそらくうまくいかないのではないかという先例がある。

 

スイスでは、郵送による投票が行われた(orている?スイス在住の方、現在はどうか教えてください)。
わざわざ投票所までいかなくてよいので投票率が上がったかというと逆で、郵送投票が導入されたら投票率はむしろ下がったのだとか(スティーヴン・D・レヴィット他『ヤバい経済学』東洋経済新報社 2007年 p.299-301)。パトリシア・ファンクらの研究である。

 

郵送投票だと、なぜ投票率が上がるのではなく下がったのか。
アメリカでもそうだけど、スイスでは「善良な市民は選挙に行くものだという強い社会規範がある」とファンクは書いている。「投票するには投票所へ行く以外に選択肢はないとき、票を投じているのを見られるためだけに投票所に行くインセンティブが働いていた。社会的に評価されたいという願い、社会に協力的な人であると思われることで得られる利益、あるいは非公式な制裁の回避、そういったものが動機であったかもしれない。小規模な地域社会では、住民はお互いをよく知っており、誰が国民の義務を果たしたか、あるいは誰が果たさなかったといったことが噂にのぼるので、社会的規範に従うことで得られる利益はそうした種類の地域社会では特に大きい」。>(上掲書、p.300)

 

少なくともスイスにおいては、「投票するところをほかの人に見てもらう」ために投票に行くという人がいるわけだ。

 

しかしながら、うえの話はあくまでもスイスの話である。
「善良な市民は選挙に行くものだ」という社会規範ではなく、「善良な市民は政治や選挙にああだこうだ言わないものだ」という社会規範がある社会では話はまた別なのかもしれない。

 

もし日本社会が後者の社会規範をもっているとすると、インターネット投票はもしかしたら投票率の上昇をもたらすかもしれない。
しかしながらインターネット上の言説がいわゆる「ネトウヨ」的に過激化・単純化する傾向があることを考えると、インターネット投票が導入されたらさらにエキセントリックな候補が当選してしまうかもしれない。不正選挙の横行を防ぐ手段も限られそうだし、なかなかに悩ましい。

 

半分まじめに言うのだが、投票率を上げるためにはやはり投票所にポケモンをバンバン出現させて、投票所に行った人がポケモンゲットし放題にするくらいしかない。そうすると投票率はあがるものの「ピカチュウ、トップ当選」という日も近いわけである。うーむ。

まじめな話、投票率を上げるためには「善良な市民は選挙に行くものだ」という社会規範を立てるor/and強化するのが王道なのでしょうね。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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スマホアプリ「Coke on」に思う。

人の世でモノゴトを継続的に動かしていくには「義」「情」「理」「利」が必要である。
順番や割合はさまざまだが、「義」がないところに多くの人は集まらないし、「情」が動けばモノゴトは継続する。「理」があればあんまりブレずに済むし、「利」があるからこそ人々はコミットし続ける。
ここしばらく愛用しているアプリ「Coke on」のことを考えていたらそう結論が出た。

 

「Coke on」はデジタルスタンプで、スマホをかざしながらコカコーラ社の自販機を利用する。一本買うと一個か二個デジタルスタンプがもらえる。15個スタンプがたまると一本好きなドリンクと交換できる。
これが良くできていて、気づけばコカコーラ社の自販機ばかり使うようになった。

 

で、その「Coke on」にはたくさん歩くとご褒美にスタンプがもらえる機能がある。累計何万歩歩くと一個スタンプがもらえるというものだ。

 

ウォーキングを奨励して人々の健康づくりに貢献する、という「義」はある。
スタンプを集めて楽しい「情」もある。
自分が何歩歩いたか気になるユーザーはアプリの使用頻度が上がる、という「理」もある。
だが、ウォーキングを奨励してご褒美にスタンプを発行することにコカコーラ社の「利」はあるのかと気になった。スタンプは15個貯めると一本分のドリンクチケットになるので、金券と一緒だ。
たくさん歩く人に金券を渡してコカコーラ社の「利」はどこに、と思ったわけである。

 

しばし考えて、あぁと思った。
たくさん歩けば(歩かせれば)ノドが渇くじゃないか!
ウォーキングを奨励してみなを歩かせればノドが渇く。ノドが渇けばコカコーラを飲む。コカコーラを飲めばカロリーの取り過ぎで太る。太ればまた歩かなければならない。
「Coke on」、Cokeし続けろ。
まさに悪魔の無限ループ…。

Coke onの開発者は悪魔的発想の持ち主とお見受けする。
スマホアプリに、ご用心。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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日本内科学会雑誌に「外国人患者増加時代の試み〜「町のクリニック」におけるポケトーク導入の経験〜」という記事を執筆しました

日本内科学会雑誌4月号に「外国人患者増加時代の試み〜「町のクリニック」におけるポケトーク導入の経験〜」という記事を執筆させていただきました!p.887〜890に掲載されています。
内科学会会員のかた、よろしければぜひお読みください!

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とある大学の入学式祝辞。

「君たちは幸運であります。
現在、地球上には200もの国がありますが、母国語で高等教育を受けられる国は限られています。
世界の高等教育に使われている言語は10程度で、日本語はその中の一つなのです」
壇上からその人は言った。

 

英語・フランス語・中国語・スペイン語・ロシア語・ドイツ語・アラビア語・イタリア語・日本語で9言語。ほんとに高等教育に使われる言語が10程度なのかは要確認だが、最低限言えるのは、確かに母国語の高等教育用教科書や教育機関が存在しない言語はあるだろうということだ。
話者の数が少なくて、その上特殊な分野のことを学ぶ人がなお少ない言語の話者はディスアドバンテージがある。

 

以前に会った上海人の話では、中国の少数民族の中には、大学に入る前にまず普通語の語学学校に通わなければならない人たちがたくさんいる(伝聞のため真偽は不明)。
高等教育を受けるためにはまず言語を習得しなければならない人たちがいることは確かだ。

 

日本語ユーザーが多く、母国語での学問マーケットがある日本ではそうした不自由を感じることなく母国語での高等教育を受けられる環境が存在している。
もちろんそれは先人たちが海外の学問を日本語に翻訳して広めたおかげでもある。
冒頭の話を聞いてぼくはそう感銘を受けた。
ずいぶん昔の、とある大学の入学式で聞いた話だ。

 

かくのごとく、大学の入学式でのエライ人の話というものはいい話が多い。
問題は、普通はみんなあんまり聞いてないということである。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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苦いお別れーコーヒー愛好家かく語りき。

<Cのことを思い出す。この男には、コーヒーを飲むのがただ一つの存在理由だった。ある日私が、このCに、感動に声をふるわせて仏教礼賛をやってのけたところ、彼はこんなふうに応じてきた。「ああ、涅槃ね、いいんじゃないの。でも、コーヒーぬきじゃごめんだぜ」(略)>(シオラン『告白と呪詛』紀伊国屋書店 1994年 p.80-81)

 

古来より人間はコーヒーを愛してきた。

身体と精神に影響を与えるという点ではコーヒーとアルコールは似ているが、与える変化の方向性はまったく違う。

寺田寅彦が酒とコーヒーについてこんなことを言っている。

 

<宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない。>(寺田寅彦『コーヒー哲学序説』 昭和8年青空文庫

 

シオランの友人Cに負けず劣らずぼくはコーヒーもまた愛してきた。

銘柄はなんでもいい。黒くて苦くて熱ければそれでいいのだ。真のコーヒー好きなら相手にしないような缶コーヒーもまた愛してきた。寒い日の早朝夜明け前、「100円玉で買える温かさ」を手に駅へ向かう孤独と喜びもまた、ぼくの人生を彩ってきたのだ。

 

しかしながらここ最近、少しばかり事情が変わってきた。

気が付けば健康のためなら命も惜しくないお年頃。
勝間和代氏のマネではないが、最近試みているのが減コーヒーなのだ。
きっかけは起床時のうっすらとした頭痛で、これがカフェインの離脱症状ではないかという仮説を立てたわけである。
仕事がえりの半ば習慣となっていた缶コーヒー購入をやめ、夕方以降のカフェイン摂取をなくしたら少なくとも眠りの質は上がったようだ。

 

夕方以降のカフェイン断ちをしてハタと困ったことがあった。自販機で買える飲み物がなくなったのだ。
まだ肌寒い時期、出来れば温かい飲み物が欲しい。だが、自販機で買える温かい飲み物のほとんどはコーヒー系。緑茶にもカフェインは入っているし、ではコーンスープはどうかと言えば今度はカロリーが気になる。なにしろこちらは健康のためなら命も惜しくない身なのだ。

 

つらつら考えてみると同じような人は一定数いるのではないだろうか。需要は、ある。
というわけでまったく新しい飲料を考案した。

来るべき新時代、ノーカフェイン、ノーカロリーのホットな全く新しい新感覚ドリンク「the SA-YU」。可能性は、無限だ。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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「フランス語よりインドネシア語を勉強しておけばよかった」と彼は言った。inspired by『「自分の市場価値を高めなきゃ」で消耗している人に読んで欲しい話。』

「あーあ、こんなことならインドネシア語を勉強しておけばよかった」
そんなことを言われたのは96年の初春、パリのユースホステルだった。

 

ユースホステルの日本人部屋で一緒だった彼はフランス語学科でがっちり学んでフランス語がペラペラだった。
「でもさ、いざ就職となって直面したんだよな、現実に。正直、日本とフランスの貿易ってそんなにないんだよ。日本がちょこっとクルマ売って、フランスからワイン買うくらい。貿易額が小さいってことは仕事も少ない。それにしちゃあフランス語を話せる日本人って多過ぎるんだな。ほら、お嬢さんとかでも教養つけるとか言ってやたらとフランス語勉強してたりするじゃない。
それに比べるとインドネシア語って日本とインドネシアの貿易額からしたら使えるヤツが少ないから希少価値なんだよ。
あーあ、あれだけ労力をかけるんだったら、フランス語じゃなくてインドネシア語勉強すりゃよかった」

 

いまググッてみると、当時に近い時期の日本からインドネシアへの輸出額は65.2億ドル、インドネシアからの輸入額は236.3億ドル(円ではなくドル。ただし96年のものはみつからず2007年データ)。外務省サイトによれば2017年は日→インドネシアの輸出は15022億円(1.5兆)、インドネシア→日本は22307億円(2.5兆円)。

それに対し当時に近い98年時の日仏貿易は対仏輸出が6453億円で対仏輸入は6242億円。2017年では日→仏が7024億円で仏→日が11658億円(1.2兆円)。

現在、日本とインドネシアの貿易額(輸出+輸入)は日仏の貿易額の倍以上だ。

インドネシア語通訳がフランス語通訳の倍以上いるということはないだろうから、純粋にビジネスとしてみたときにはインドネシア学習者のほうがビジネスチャンスがあることになる。

 

「自分の市場価値を高める」より「成長するフィールドに飛び込む」ことがはるかに重要、というBooks&Appsブログ『「自分の市場価値を高めなきゃ」で消耗している人に読んで欲しい話。』(2019年3月4日配信)を読んで思い出した話。

 

ユースホステルの彼がどうしたかは知らぬが、まあそうは言ってもそのとき自分が勉強したいことやってみたいことがなにかってこともあるしなー。もしかしたらユースであった彼も、成長するアフリカ大陸フランス語圏で活躍してるかもしれないし。セ・ラ・ヴィ。
 
↓inspired by Books&Appsブログ『「自分の市場価値を高めなきゃ」で消耗している人に読んで欲しい話。』(2019年3月4日配信)
https://blog.tinect.jp/?p=56538

 

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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