結・正論7月号『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』批判

3回ほど、雑誌正論7月号『セクハラはチンパンジーもやっている』という記事の批判を書いた。

 

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 90年代の亡霊、竹内久美子氏の問題点として、

①話に進歩がない。華々しくデビューしたときの成功体験を引きずり、四半世紀も同じ話を繰り返している。

②「自然科学の知見」という葵の御紋のもと、疑問や批判を許さない断定的・押しつけ的権威主義

を挙げた。

 

もう一つ問題点を加えるとしたら、

③イズムにおぼれ自然現象の解釈を恣意的に行っている。

となる。

 

生きていく上でなんらかのイズム、主義主張やプリンシプルを持っているというのは確かに有用だ。判断に迷ったときに依って立つものがあると、それだけで人生は生きやすくなる。

だが、こと自然科学の解釈にイズムを持ち込むと、あっという間にその人の言っていることはおかしくなる。

自然科学とイズムの密会がものごとの解釈を歪め、悲劇や喜劇を生んだ例としてはソビエト連邦でのメンデル批判とルイセンコ賛美が挙げられる。

ソビエト連邦スターリン政権下では、メンデルの遺伝学はブルジョワ的だと批判され、「環境により新たな性質を得た生物は、その獲得形質を次の世代へ遺伝させることができる」というルイセンコ主義が賞賛されたという(この部分、科学史に詳しい方にお任せしたい)。

イズムによる科学への干渉ということでは、米国バイブルベルトでの進化論否定もある。

「自然とはこうである」という観察に基づく自然科学と、「自然とはこうであるべきだ」というイズムとは、正直相性が悪い。

 

自然科学とはなにものにもとらわれずにありのままを観察し、世俗や宗教や権威がなんと言おうと、ありのままを記載するものだ、と思う。自然科学は本来、自由なのだ。

科学的精神は、自由のないところに根付かない。

 

<自由とは二足す二が四になると言える自由だ。これが容認されるならば、その他のことはすべて容認される。>(ジョージ・オーウェル1984年』早川書房 昭和47年 p.104)

 

だがイズムー主義、かたまった考え方ーに染まると自然現象を観る目が歪む。

差し出された四本の指が、イズムに染まった目には五本に見えてしまう。そうなれば、自然科学の学徒としては致命的だ。

 

竹内氏は当該記事でこう述べる。

<竹内 チンパンジーは人間に一番近い。約七百万年前に共通の祖先から分かれ、片や乱婚、片や一夫一妻か一夫多妻。人間はやたらおとなしくなった。(略)>(正論2018年7月号 p.250)

人間に近いチンパンジーがセクハラをするから人間もしてよい、と匂わせる当記事の根底に流れるのは反フェミニズムである。

行間からあふれ出すのはフェミニストへの反感で、それを正当化するために自然現象をつまみ食いして提示するのが竹内氏の役回りだ。

 

フランス・ドゥ・ヴァール『道徳性の起源:ボノボが教えてくれること』(紀伊国屋書店 2014年)によれば、我々人間はチンパンジーよりむしろボノボに近いという。

その人間に近いボノボでは、あたり前のように同性愛行為がみられるとのことだが、チンパンジーをみれば男女間のセクハラなんか当たり前、<生物の二大テーマは生存と繁殖。これしかないんです。セクハラも繁殖行動の延長と言え、これはいけない。あれもだめとがんじがらめに制限するのは、私から見るとおかしい。>(当該記事 p.246)とする竹内氏らはボノボと人間でみられる同性愛についてどう解釈するのか。

 

驚くべきことに、竹内氏はそこの答えも用意してある。
<(略)二十一世紀になって分かったことには、男性同性愛者の母方の女たちは、そうでない家系の女たちと比べて非常によく子供を産んで、繁殖力が高い。だから、同性愛の子が時々出ても、そのマイナスをちゃんと補ってるんです、女たちが。>(当該記事 p.247)

ほんとかなあ。少子化の先進国で成立するとは思えないし、女性の同性愛者については何も言っていない。あいかわらず都合のよいとこだけピックアップしてないですか?

ポリコレ的に言えば<マイナス>って言い方もどうかと思うが、そこは今回は本題ではないので。

 

つらつら考えていて思ったのは、竹内氏らのスタイルで嫌なのは、自然への畏敬、センス・オブ・ワンダーを感じないからかもしれない。

本業の医者の仕事をしていると、人間の体ってよくできてるなあとか、人間ってすげえ、みたいな感覚になることはよくある。あるいは自然科学者の多くは、自然って、宇宙って、動物ってすげえ、人間サマがわかっていること考えていることってのはごくわずかだよなあ、みたいな感覚をどこかに持っていると思う。

竹内氏らのスタイルには、私は自然界のことも人間界のこともなんでもわかってます、私に説明できないことなんてないんです、みたいな傲慢さを感じてしまう。だから竹内氏やM木氏らみたいな、「人間社会の○○は、最新科学で説明できるんです」みたいな芸風に反感を持つのだと思う。個人的に。

 

人間サマの考え出した「イズム」におぼれ、自然への畏敬も人間社会への謙虚さも忘れて、自然科学者の持つ、ありのままを観察し、できるだけ近い姿で叙述するという姿勢を忘れてしまった(あるいは最初から持っていなかった)竹内久美子氏への批判はここらで終わりにしたい。90年代の亡霊は、一部で人気があるようだからまたよみがえってくるだろうが。

<T「おまえは、チェコから帰ってきたとき、チェコの患者が≪ドクター、イズムのつくものはみなよくありませんな。アルコーリズム、モルフィズム、クリスチャニズム、マルキシズム≫といってウインクしたといっただろう。おそらく冗談でいったに違いない。そしておまえは、今後はキリスト教マルクス主義をキリスト中毒、マルクス中毒と訳そうといった。覚えているかい」>(なだいなだ『神、この人間的なものー宗教をめぐる精神科医の対話ー』岩波新書 2002年 p.185)

 

 

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続々・正論7月号『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』批判

思ってたより話題にならなかった、雑誌正論7月号の記事『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』。この批判の三回目です。一回目と二回目はこちら↓

 

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動物行動研究家、竹内久美子氏のよろしくないところ1つ目は、言説の進化がまったく見られないことだ。動物のオスとメスがどうこうしたから人間社会はこう、というパターンで90年代に成功したので、その勝ちパターンのまま四半世紀もやっている。動物行動研究家なんだから、少しは進化したらどうか。

さて竹内久美子氏のよろしくないところの2つ目は、動物界のたった一つの事象を好き勝手に切り取り、人間社会の現象に対する「仮説」ではなく「ご宣託」にしてしまっているところだ。平たく言えば、決めつけすぎで言い切り過ぎ。
人間社会なる摩訶不思議なものを説明したい説明されたいっていう欲求は誰しもが常に持つ。
人間社会においてどうしてこういう事象が起こるんだろうって疑問は常に湧いてきて、それに対するアンサーが占いだったり科学の仮説だったり。

ただ気を付けなければならないのは、仮説はあくまで仮説にすぎないのに、話し手聞き手の問題で、その仮説が「ご宣託」というふうに流通してしまう(竹内氏の場合には意図的に流通させている)場合があることだ。

竹内氏に限らず、自然科学の一分野の仮説をさも真実であるかのように人間社会にあてはめて「人間はこういうもの。〇〇科学の最新理論で証明されている」と言い切っちゃうやつってのは腐るほどいる。そういう輩はそのまま腐ってしまって構わない。

 

これは日本だけの現象ではない。

人文科学分野で、あまりにテキトーに自然科学の用語が濫用されているのに腹を立て、テキトーに自然科学の用語をちりばめて人文科学の論文をでっちあげて学術誌に載せちゃった人たちがいる。ボストン生まれのアラン・ソーカルとベルギー生まれのジャン・ブリクモンだ。

思わせぶりに自然科学の用語を濫用してでっちあげた論文が学術誌に載っちゃったこの事件は「ソーカル事件」として有名だ。

彼らは自然科学と人間科学の関係について、こうまとめている。

1 自分が何をいっているかわかっているのはいいことだ。(略)
2 不明瞭なものがすべて深遠なわけではない。(略)

3 科学は「テクスト」ではない。自然科学というのは、人間科学ですぐに使うことのできるメタファーを集めた倉庫ではない。(略)

4 自然科学の猿真似はやめよう。社会科学には独自の問題があり、独自の方法がある。(略)

5 権威を笠に着た議論には気をつけよう。もし人間科学が、自然科学の否定しようのない成功から何かを引き出したいならば、専門的な科学の概念をそのまま拡張することによってそうする必要はない。それよりも、自然科学の方法論的な原則の中の最良のものから役に立つことが学べるはずである。その手始めは、ある意見の価値は、それに賛成する人、反対する人の人間的な質や社会的地位を考えに入れず、その意見を支える事実や論拠に基づいて判断するという原則だ。

 これは、もちろん原則にすぎない。たとえ自然科学においても、これがあまねく尊重されているということはない。科学者といえども所詮人間であり、どうしても流行に流されたり天才に媚びたりすることは避けられない。それでも、われわれは、神聖な典籍(通常の意味では宗教的といえない文書でもこの役を果たすことが十分ありうる)の解釈や権威を笠に着た議論を決して信用しないというまったく正当な姿勢を「啓蒙主義の認識論」から受け継いでいる。(略)

6 個別な懐疑と極端な懐疑主義を混同してはならない。(略)
7 曖昧さは逃げ道なのだ。(略)>(アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』岩波書店 2000年 p.246-252。太字は原文のまま、下線部は筆者)

 

ソーカルらのまとめで特にしびれるのは「5 権威を笠に着た議論には気をつけよう」だ。

自然科学というのは、教会の権威を疑い、世俗の常識を疑い、自分自身の経験すら疑うことで発展してきた。
すべてを疑うことが自然科学の成功の秘訣で、だからこそ自然科学を愛する者は自ら権威と化すことは避けるべきだと思う。
疑うことを許さない科学は、ただのシューキョーだ。

 

若かりし頃の竹内氏は、学会の権威主義に嫌気がさして学会を飛び出した(という設定になっている)。
権威主義に疑問を呈したはずのご自身が、動物行動学の権威として一般読者に「ご宣託」を乱発し続けて人心を惑わし続けた、というのが竹内氏のこの四半世紀だったのだ。
(もうちょっと続く)

 

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続・正論7月号『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』批判

90年代の亡霊か。

 

先日出た、雑誌正論2018年7月号記事、『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』を読んだ感想だ。

竹内久美子氏がメジャーになったのは1990年代前半。

「生物学の理論を縦横無尽に駆使して社会評論を行い一世を風靡した」、というのが大人の言い方で、ほんとのところは「ある特定の生物にみられる現象を好き勝手に人間社会に濫用してオッサンたちが喜ぶような言説を弄して人心を惑わした」というところだ。

いかにその言説がいい加減でテキトーかは、1990年代にすでに山本弘氏ら「と学会」に批判、というかおちょくられている(と学会編『トンデモ本の世界』宝島社文庫 1999年 p.73-79)。

生物学者や画家が長生きなのは生物学のネオテニー幼形成熟)で説明できるという竹内氏の言説に対し、山本氏はそもそも生物学者が長生きという統計があるのか、と疑問を呈し(というよりおちょくり)ている。山本氏の結論は以下。
<要するにこの人、深い考察や実証などを無視し、その場その場の思いつきで書いているだけなのである。>(『トンデモ本の世界』p.79)

 

竹内氏がメジャーデビューして四半世紀以上。21世紀も5分の1が過ぎようとしている今、竹内氏はなにを語っているか。

<竹内 女に限らず、動物のメスが見る男(オス)の質の良さとは実は生存と繁殖に関わる問題、つまり免疫力の高さなんです。>(正論7月号 p249)

<竹内 女にとって男の魅力とは、ルックスや声がいい、音楽の才能がある……これ全部免疫力に関係するものですよ。>(同 p.250)

<竹内 人間も動物である限り性行為が重要なことはお話ししたとおりで、「人間は他の動物より高等だから」なんて考えると本質を見誤る。男が女にちょっかいを出すことは昔からあり、場合によっては人間同士のコミュニケーションの潤滑油にもなってきた。>(同 p.254)

あいも変わらず、動物のオスとメスの現象を都合のよいところだけつまみ食いして、人間社会に自分の好きなようにあてはめているのだ。

 

竹内氏の問題点は3つある。

ひとつは25年以上前と、まったく話に進歩がないこと。

学問というのは、25年もあれば相当進化する。

25年もあれば通信機器だって黒電話からポケベル、PHSに携帯を経てスマートフォンになる。

にもかかわらず、竹内氏のやっていること言っていることは全く進化していないのだ。

動物行動学研究家の肩書を持つのに進化は嫌いなのだろうか。

 

竹内氏は恩師日高敏隆氏との対談本『もっとウソを! 男と女と科学の悦楽』(文藝春秋 1997年)の中でこんな発言をしている。

<竹内 (略)私、塾で小学生を教えたことがあるんです。そのときの経験からすると、あんな実験やめて、それこそ動物のオスとメスがどういうふうに相手の気を引くかとか、交尾のこととか教えたらいい。もうワイワイ大騒ぎですよ。(略)>

生物学に興味を持たせるためにオスとメスの話をし、大うけする。おそらくこれこそが竹内氏の成功体験の原点であり、そこから数十年経っても、氏は一歩も脱却できていないのではなかろうか。

竹内氏の本質が学者でも科学の啓蒙者でもなく下ネタ好きのオッサンであるということは、もう15年も前に山形浩生氏によって喝破されている。

Stupid Bitches: Takeuchi Kumiko

2つ目の問題点はより根が深い。

人間ではないある生物に関する一仮説を、自分勝手に人間社会への『ご宣託』にしてしまっていることである。
(続く)

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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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正論7月号「セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子✖️竹内久美子」批判

「セクハラは

      チンパンジー

          やっている

      長谷川三千子

      竹内久美子

575 77(注1)。筆者名も入れると短歌みたいになるそんな記事を、正論7月号が載せている。

記事の主旨は要するに、

〈竹内 生物の二大テーマが生存と繁殖。これしかないんです。セクハラも繁殖行動の延長と言え、これはいけない、あれもダメとがんじがらめに制限するのは、私から見るとおかしい。〉(正論2018年7月号 p.246)

というものだ。

バカを言ってはいけない

セクハラが繁殖行動の延長ならば、I  hate to  say,  セクハラの末に「繁殖」に成功したならばセクハラ男性は喜ぶはずじゃないか(注2)。そんなヤツはいない。

この記事の中にも出て来るが、訳知り顔で「男は自分の遺伝子をバラまきたいからあちこちの女に手を出す」と語る人がいるが、自分の遺伝子を残すために不倫したり浮気したりするんだったら、不倫相手や浮気相手をどうにかして、mmm, I don`t wanna say, 妊娠させようとするはずじゃないか。繰り返すが、そんなヤツはいない。

「男は自分の遺伝子をバラまきたい生き物だから浮気するけど、実際に妊娠とかなると社会的に困るからさ、そういうときは理性が働くんだな」と言い訳する人もいるだろうが、その理性、もっと早めに発動させることをお勧めする。

 

この手の、自分の都合のよいように科学を恣意的に引用する論法には引っかからないほうがよい。

「①セクハラはチンパンジーもやっている。

         ↓

②人間はチンパンジーと同類だ。

         ↓

③だから、人間のセクハラも目くじら立てるな」

という論理構成は、②の部分を入れ替えて、

「①セクハラはチンパンジーもやっている。

        ↓

②人間はチンパンジーではない。

       ↓

③だから、人間のセクハラはいけない」

と容易に変形できる。

論じる者の好きな結論に至れるのだから、こんなものは論理ではない。

 

チンパンジーは服を着ないが人間は着る。

チンパンジーは核戦争をしないが人間はする。

チンパンジーは正論も産経新聞赤旗朝日新聞も買わないが、人間は買ったり買わなかったりする。

チンパンジーのことはチンパンジーに決めさせよ。

人間のことは人間で決めよう。

チンパンジーがセクハラしてるからってそんなにセクハラを認めさせたいのなら、いっそのことチンパンジーに弟子入りすればよいではないか。
(続く)


(注1) タイトルが575 77になっているとの指摘はtwitterで誰かがしていたのの受け売り。

(注2)「遺伝子をばらまくために浮気するんなら、浮気相手が妊娠したら喜ぶはずじゃないか」との指摘も、ネット上で誰かがしていたのを受け売り。

 

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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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日大アメフト部事件に思う。

<まず、ネット上の情報は基本的に紙に書かれている情報がもとです。

 誰かが、紙に書いた情報を、別の誰かが打ち込んで、それにコメントを付けて付加価値をつけていることになっています。

 しかし、その付加価値がついたように思える情報は、実態的には、何の価値もないモノが多い。

ー無価値なら、ネットは、見なくていいですね。

 いや、そうでもないんです。『炎上』という形で、世間が興奮した現象化の部分には意味があります。 

ーあの、『ブログ炎上』と呼ばれる、書き込みが殺到して、大変な騒ぎになる現象ですね。

 いま、こういうのが、人を刺激するのか?

 いま、どんなことをすれば、人は興奮するか?

 この二点がわかります。 

 それが、世間の人々の注目を集め、人々を興奮させるのならば、そこにお金をかければ、商売として成立します。

 -いま、何が人々の関心を惹くのかが、『ブログ炎上』でわかるのですね。

 だから、ネットは見ないよりは、見たほうがいいです。炎上するのは、大衆の感情を刺激する何かがあったということの証です。そのことで、いまの日本人はこんなことで、刺激されるんだ、ということが明確にわかります。>
佐藤優『人たらしの流儀』PHP研究所 2011年 p.88-89)

 

日大アメフト部の話で念頭に浮んだのがこの一節だ。

ナナメに見ればアマチュアスポーツの一試合での反則行為がこれほどまでに炎上するとは、おそらく誰も思わなかったのではないか。

ぼく自身がこの反則行為を一番最初に知ったのはアメフト経験者の友人がシェアしたFacebook上の記事だった。「こんなひどいことが許されるのか」というコメントとともに記事がシェアされていた。
あれよあれよという間に日大アメフト部事件は炎上し、全国のお茶の間やカフェでこの話題が語られている。とある地方都市で子どもたちが「日大タックルだ!」といってふざけあっているのを見た、と知人Tさんが教えてくれた。津々浦々、という感じである。

 

当該反則行為(ホイッスルのあと、プレイが完全に止まったあとに行われたあの行為は、反則というか暴力行為なのであろう)についてや日大アメフト部の中でのことを云々する資格も知識もぼくにはない。ぼくが興味を惹かれるのは、なぜこの事件がこんなにも炎上し続けているのか、ということだ。上掲のように、何がネットを燃やすのかは、いわゆる世間、現代日本社会がどういうものかを知るのに役立つからである。
世間に従うもよし抗うもよし、そこはみなが好きにすればよい。だが、効率的に世間に従うにも戦略的に世間に抗うにも、世間というものがどういうものかはわかっておいたほうがよいのだろう。

そんなことで、なぜ日大アメフト部事件がこんなに炎上したのかを考え続けているのだが、先日見かけたtweetが新たな視点を与えてくれた。

 

もけ @andexihaeienni
今回の日大アメフト問題、何故ここまで猛烈に日本全土の関心を集めたのか(昼飯をファミレスで一人で食ってても近所からこの話題を語り合う声が聞こえてくる)ようやく合点がいった。そう、コレは日本版MeTooなんだ。ただしセクハラではなくパワハラについてだけど。
日本人皆が宮川君の立場なんだ

9:53 AM - 24 May 2018>

このtweetはあくまで仮説に過ぎないが、大変興味深い見方だ。
MeTooのムーブメントが日本では今ひとつ広がらなかったが、日大アメフト部事件を語ることで(内田監督以外の)皆が日本のパワハラ風土を告発しようとしているのならば有意義だ。あわてて付け加えると、パワハラ風土の告発という意図が意識的なものと言いたいのではない。日大アメフト部事件のどこが日本人の琴線に触れ、それはなぜか、という話をしたいのである。

上記の仮説が正しいのかも、この話がどこに転がっていくのかわからないが、今後も注目していきたい。

 

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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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『私たちはベストの治療・ケアができているのか』

慢性期の診療に従事していると、常に湧き上がってくる疑問がある。

それは、

 

私たちはベストの治療・ケアができているのか

 

というものだ。

正しいと思って診断し、良かれと思って治療する。

だがしかし、今自分がやっている治療・ケアは本当にベストなのだろうか?

そう思うからこそ日々勉強なのだが、ベストな治療・ケアを提供するために、ベストでない治療・ケアを把握しておくことは役に立つ。

ベストでない治療・ケアを知ることで、相対的にベストな治療・ケアにたどり着く可能性が高くなるからだ。

 

私見だが、ベストでない治療・ケアとは3つに分けられる。

①間違っている

②多すぎる

③少なすぎる

以下、それぞれについて述べる。

 

ベストでない治療・ケア ①間違っている

そもそも診断自体が間違っている場合。

たとえば一言で認知症といっても、数多くの原因がある。

病気として数が多いのはアルツハイマー認知症だが、たとえば特発性正常圧水頭症という病気でも認知機能の低下が起きる。こうした別の原因の病気に対し、間違った判断のまま投薬を行えば、当然ながら改善しない。

高齢者のてんかん発作などでも認知機能低下は起きる。

一番多いのはアルツハイマー認知症だから、と深く考えずにいると病気を見逃してしまう。

 

ベストでない治療・ケア ②多すぎる

 高齢者では薬剤の副作用に通常よりも多くの注意を要する。

内科のクリニックで降圧剤など数種類、胃腸科で胃腸の薬数種類、整形外科で痛みどめなど数種類などなど、複数の医療機関にかかっていると知らず知らずのうちに(知らず知らずのうちではいけないのだが)薬の数が多くなりすぎる。

一つひとつの薬は妥当なものであっても、5~6種類以上になるとふらつきなどの副作用の危険性がぐんと上がる。

とある認知症専門クリニックで治療されていた患者さんは、ぼくのところに紹介された時点で10数種類以上の薬を投薬されていた。

患者さんと相談しながら慎重に薬を整理していったところ、認知機能は明らかに改善した。

多すぎる薬もまた、有害なのである。

 

ベストでない治療・ケア ③少なすぎる

なにごとにも適量というものがある。

例えばパーキンソン病では、病気の進行にともなって適度に薬を増やしていくことが必要なのだが、ベストでない治療の場合にはその薬の量が十分でなかったりする。

何年にもわたって少なすぎる量の薬のみを投薬されていたためにパーキンソン病の症状コントロールが悪くなっていた人が、これまた慎重に抗パーキンソン病薬を増量していったところ寝たきりだったのが歩けるようになった、などという例は決して少なくない。

少なすぎる治療もまた、ベストではない。

 

どうしたらベストの治療・ケアができるのか

ではどうしたら、私たちはベストの治療・ケアができるのであろうか。

救急医療、急性期治療と慢性期治療では状況が異なるので、以下は慢性期治療を念頭に述べる。

 

IT業界ではリーナスの法則というのがあるという。

リーナスの法則とは、『十分な目玉があれば、すべてのバグは洗い出される/Given enough eyeballs, all bugs are shallow』(エリック・スティーブン・レイモンド『伽藍とバザール』光芒社 平成11年 p.8など)というものだ。

ぼくのような非IT業界のものからすると、一人の超天才プログラマーが夢のようなコードを書き上げて世界を変える、というフィクションを信じてしまいがちだが、実際には状況はやや異なるようだ。

一人の超天才プログラマーではなく、優れた幾人ものプログラマーが知恵を出し合ったほうがうまくいくのだという。

慢性期医療においても、主治医の独りよがりではなく、看護師や理学療法士などの医療職、患者さん本人や家族などが「十分な目玉」を持ち寄って治療・ケアを絶え間なく見直すことがベストの治療・ケアをもたらす(と思うんですけどね)。

チーム医療のスピリットっていうのはそういうものだ。

救急医療、急性期医療もまたチーム医療だが、時間という制約下において主治医たちのよりパワフルなリーダーシップが要求されるように思う。

 

では、どうしたら優れたチーム医療ができるのか

ではいったい、どうしたら優れたチーム医療ができるのか。
同じくIT業界から知恵を借りてくる。優れたチームのキモは、ハート。ただしHeartではなく「HRT」だ。
HRTは謙虚(Humility)、尊敬(Respect)、信頼(Trust)の頭文字である。

謙虚(Humility)

 世界の中心は君ではない。君は全知全能ではないし、絶対に正しいわけでもない。常に自分を改善していこう。

尊敬(Respect)

 一緒に働く人のことを心から思いやろう。相手を1人の人間として扱い、その能力や功績を高く評価しよう。

信頼(Trust)

 自分以外の人は有能であり、正しいことをすると信じよう。そうすれば、仕事を任せることができる。>

 (Brian W.Fitzpatrick他『Team Geek  Googleギークたちはいかにしてチームを作るのか』オライリー・ジャパン 2013年 p.15)

 

医者同士や医療職同士、患者さんと医療職の間に、相互に謙虚・尊敬・信頼の精神がなければ優れたチーム医療はできない。

医療技術や知識のブラッシュアップは絶対的に必要なものだが、その根底に謙虚・尊敬・信頼がなければ砂上の楼閣、天空の城だ。

すべての患者さんにベストの治療・ケアがもたらされることを切に祈る。
(2018年5月11日 船橋南部在宅医療研究会での講演をもとに執筆)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ビジネス戦隊タイヘーン・ファイブ(R改)

オープニング曲に乗ってレディー我賀山とファースト田中、登場)

レディー我賀山:どうも〜こんばんは。レディーです。
ファースト田中:ファーストです。二人あわせて、
レ、フ:れでぃ〜☆ファーストで〜す。

 

フ:いやーそれにしてもね、今でこそぼくらこうして『れでぃ~☆ファースト』として漫才やらしてもらってますけど、子どものころっていろいろ夢がありましたね。
レ:そうね。

フ:我賀山さんは子どものころ何になりたかった?

レ:税理士。

フ:渋すぎんだろ!どんだけものしりなんだって話よ。一応聞いとくけどなんで?

レ:いやね、うちは実家がお店やってたんで、確定申告なんかで大変なのを見てたのよ。大人になったら税理士になって助けたいなって内心思ってた。

フ:いい話かっ!一応さ、ぼくら漫才師だからボケてもらわないと。

ぼくはですね、凄腕ビジネスマンとね、あと子どもらしく戦隊モノのヒーローになりたかったですね。

レ:ファーちゃんね、そうくると思って、今日は私考えてきました。

フ:何を?

レ:ビジネスマンにあこがれている子ども向けの戦隊モノ。

名付けてビジネス戦隊タイヘーン・ファイブ。

フ:あんまかっこよくないな。戦隊モノだから何人もいるんですか。どんな感じなん?

 

レ:ちゃ〜ら〜ちゃらっちゃっちゃら〜、ばーば〜ん!

フ:オープニング音楽ね。
レ:助けて〜、ガイアツ怪獣グローバルンが現れたわ〜!
フ:怪獣にさらわれたヒロインですね。

レ:ばーばん!!シャフー・ブラック!

フ:お、なんかかっこええな。

レ:シャフー・ブラックは、ブラックな社風をそのまんまヒーローにした男である!

フ:ブラック企業かい!
レ:ばーばん!!顔色・ブルー!

顔色・ブルーは、働きすぎにより、常に顔色がブルーなヒーローである!
フ:病院行け!

レ:ばーばん!!頭ン中・ホワイト!

頭ン中・ホワイトは、大事な会議のときに資料を忘れて頭の中が真っ白になるヒーローである!
フ:しっかりしろ~っ!

レ:ばーばん!!セクハラ・ピンク!

セクハラ・ピンクは、セクハラによりグループから解雇されたヒーローである!
フ:メンバー!

レ:ばーばん!そして最後に登場するのは…決算・レッド!決算・レッドは、どんなにがんばっても決算がレッドなビジネス戦隊タイヘーン・ファイブのリーダーだ!

フ:こんだけがんばって、決算、赤っ!

レ:早く黒字にして、しっかり納税してください。

フ:税理士かっ!もうええわ。

(FB2015年10月23日を加筆再掲)


tribute to 『戦隊モノ』by スピード・ワゴン 2002年M-1グランプリ
text by 『漫才ブルータス』(Brutus  No.835 マガジンハウス 2016年 p.84-85

 

 

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