集合知ー誰に投票するのが『正解』かわからなくても7月21日投票に行こう、という話。

唐突だが、多様性ってなぜ大事なのだろうか?
そんな話から始めてジェリービーンズとクイズ番組の話をし、最後は「投票に行こう」というゴールを目指したい。

 

ビンにジェリービーンズを850粒入れて56人の大学生に見せる。ビンの中に入っているジェリービーンズは何個か当てさせると、ある者は400個くらいと答え、別の者は900個と答える。ピタリと当てる者は一人もおらず、誰もが多すぎたり少なすぎたりてんでんバラバラなことを言う。
だが驚くなかれ、56人の大学生がそれぞれ勝手に出した推測値を平均したところ、グループ全体の推測値は871粒。真実に非常に近い答えが得られた。
ジャック・トレイナー教授の「ビンの中のジェリービーンズ」という実験だ(ジェームズ・スロウィッキー『群衆の智慧』角川Epub選書 kindle版 245/4151。原題は「THE WISDOM OF CROWDS」)。

 

テレビのクイズ番組『百万長者になりたい人は?』では、四択問題に15問連続で正解すると100万ドルもらえる。わからない場合、知り合いで一番賢そうな人、「エキスパート」に答えを聞いてもよい。あるいは、スタジオに来ている視聴者に四択のどれが正しい答えか投票してもらってもよい。
知り合いで一番賢そうな人「エキスパート」に答えを聞いたときの正答率は約65%。これに対し、テレビ番組の収録に来た視聴者にアンケートをとって答えを決めた番組には、91%の正答率だったという(上掲書 222/4151)。

 

集団の知恵は、往々にして一個人の知恵を上回るのだ。なぜかはわからないけれど(注1)。

 

集団として賢い知恵を発揮するには、四つの条件がある。
意見の多様性、他者の意見に左右されないという独立性、それぞれがさまざまな情報をもっているという分散性、個々人の判断を集約する仕組みがあるという集約性だ(上掲書 328/4151)。冒頭の話、多様性は、集団の知恵を働かすのに必要なのだ。

 

話は飛躍して、若者の投票率の低さの話になる。
埼玉大学の松本正生教授によれば、若者は選挙や投票に、『正解』があると思っているのではないか、という(朝日新聞2019年7月15日 社会面)。誰に投票するのが『正解』かわからないから投票に行かないという人が一定数いるのかもしれない。
だが唯一絶対の『正解』が何かは、神ならぬ身である人間にはなかなかリアルタイムではわからない。だから人間には他者との対話が必要だし、歴史による検証が必要なのだ。

 

一個人では『正解』にはたどり着けない。
しかし、多様性を持った健全なる「その他大勢」が知恵を合わせたときに、『正解』に近いところまではいけるのではないか。少なくともそうした仮説に基づいて、民主主義は運営されている(注2)。
だから、投票には行ったほうが良い。もし仮に、誰に投票するのが『正解』かわからなくても。
7月21日は参院選ですよー。期日前投票も出来ますよー。

 

もっとも、政治はジェリービーンズとは違うという批判は受け入れるつもりだ。なぜならばもちろん、政治はそんな甘いものではないからだ。

 

注1.クイズの四択問題について、西垣通集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえ』中公新書 kindle版 451/2508あたりが詳しい。

大雑把に言うと、クイズの答えを知っている者、ある程度知っている者、全然知らない者がいて、後2者のグループの各人は、それぞれの範囲でランダムに答える。ランダムに出された答えは集団が十分大きければ打ち消しあうので、最終的に、答えを知っている者のグループが出す答えの傾向が強く出る(シグナル・ノイズ比の話ですね)からというものだ。原著ではもっと丁寧に説明している。

選挙も同じで、集団が十分大きければ、いわゆるネトウヨとパヨクが対消滅するみたいなことが起こって、良識派の投票傾向が結果に反映されるんじゃないかなーと希望的に考えている。なお、ネトウヨとパヨクに関しては、物江潤『ネトウヨとパヨク』新潮新書 2019年が参考になります。

注2.もちろん瞬間風速的に集団が誤った判断をすることは多々ある。だから歴史に学ばなければならないし、数年ごとに繰り返し繰り返し選挙を行い軌道修正をするのだ。永遠に。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ぼくたちの失敗。

「子どもは人類の研究開発部門」。
児童心理学者、アリソン・ゴプニックの言葉だ。(ウォーレン・バーガー『Q思考』ダイヤモンド社 2016年 kindle版930/4563)。

 

子どもたちが人類の研究開発部門だとすると、子どもたちに成功をもたらすのは何だろうか?
人類の研究開発部門である子どもたちに成功をもたらすもの、それは「失敗」、もう少し丁寧に言えば、「安心して失敗できる環境」ではないだろうか。

 

研究開発に必要なのは、山ほどの失敗だ。
明王エジソンが電球のフィラメント素材を探すためにかたっぱしから素材を試したのは有名な話だし、薬だってロケットだって、山ほど失敗して、その中から一握りの大成功が生まれてくる。
研究開発には、失敗がつきものなのだ。一握りの大成功のためには山ほどの失敗が必要だし、山ほどの失敗のためには、安心して失敗できる環境が必要だ。
人類の研究開発部門たる子どもたちの成功を望むなら、大人たちは安心して失敗できる環境を用意しなければならない。

 

我が子が幼いころ、一緒に公園に行った。
子どもというのはなんでもやりたがるもので、そのときに我が子がやりたがったのはジャングルジムだ。
小学生がスイスイ登っているのを見て、自分もやると言い出した。落ちたら大ケガだとは思ったが、やらせてみることにした。
右足を横棒にかける。次に動かすのは右手か左手か、つかむべき棒はどれか。幼い頭で一生懸命考えている。
この棒、あの棒と試行錯誤して、ぎこちなく一段上がる。我が子の顔がパッと輝く。
一段、また一段と上がるたびに、我が子は誇らしげになり、親であるこちらはハラハラがつのる。
とうとう我が子は一番上まで登り切った。僕の頭よりだいぶ高い位置だ。
我が子はどうだと言わんばかりに周囲を睥睨する。ライオン・キングのようだ。
結局、彼は独力でジャングルジムを登り切って、一人で降りてきた。
ぼくはアドバイスもしなかったし、手助けもしなかった。
ただ常に息子の真下のポジションに移動して、万が一彼が手足をすべらせて落ちたら全力で受け止められるよう、緊張しながらずっと手を広げていただけだ。
もし彼が初めてジャングルジムを登り切った日のことを覚えていてくれるとしたら、こう言ってほしい。
「初めてジャングルジム登ったときも、全部一人で登り切れたよ。怖くなかったし、自分の力だけで、自由に登ったね。親父なんか見てるだけで、なにも助けてくれなかったし」

 

高校生の時、飲み会で仲間の一人のT君が飲み過ぎて、急性アルコール中毒になってしまったことがある。T君は緊急入院となり、さあどうしたものかと仲間と話した。
結局、あとでバレてもいけないということで、先生に報告に行くことになった。
「H先生、実は昨日、あるメンバーが急性アルコール中毒で入院しまして」
そう職員室に報告に言ったときの緊張は今も覚えている。
H先生はそう告げられほんの一瞬ひるんだが、次の瞬間こう言った。
「そうか。しかし学校の外で起こったことだから、学校は一切、関知しない」。
何が正しいかはわからない。親を呼びつけるべきなのかもしれないし、飲み会メンバーを停学にすべきなのかもしれない。
ただH先生は、あの瞬間に決意した。
社会というジャングルジムを得意顔で登り始めた高校生の我々から手を離すこと、そして万が一ジャングルジムから落ちたら、真下にいて全力で受け止めることを。

 

子どもたちの失敗に、寛容な社会でありますように。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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メキシコの朝

「この町でいちばん安い宿に連れて行ってください」
タクシーの運転手にそう言って連れてきてもらったくせに、いざその宿に着いて部屋に入ると湧いてくるのは後悔ばかりだった。

 

メキシコシティからバスで半日、熱帯林を切り開いたまっすぐな道をひたすら揺られてその町に着いた。いきがっていちばん安い宿なんていうものだからその部屋には裸電球しかなくて、天井こそ高いものの、光を入れるための窓もトーストよりも小さい。シーツの隙間からは何か這い出てきそうだし、なんと言ってもドアの鍵は後付けのチープな、公衆便所の鍵と同じタイプのもので、その上ドアそのものもベニヤ板みたいなペラペラのものなのだった。
今の今わかったんだけど、あの部屋はたぶん、スペインの植民地だった時代の召使部屋を改装したものだったんだろう。

 

「強盗がその気になれば、一発でドアを破られるな」
オアハカだったかメリダだったか町の名前は忘れたが、メキシコの町というのはそんなに治安が良いとは言えないはずだ。

 

どんどん夜が更けて恐怖がつのる。
明日の朝、絶対に宿を変えようと決意しながら、ぼくはドアの前に椅子だの机だのを積み上げてバリケードを作って、ビクビクしながら夜を過ごした。本気のバリケードを作ったのは、生涯であの夜だけだ。

 

うとうととまどろんでいると、外で大声がした。
ケンカかと思ったが、よく聞くと怒声ではなく大歓声。
わーわーと楽しそうにたくさんの人の声がする。
明かりとりの小窓からは日差しが入る。
いつのまにか朝になっていた。

 

警戒心より好奇心が先に立って、ぼくはバリケードを解除しおそるおそる外に出た。
ソカロと呼ばれる中庭で、何人もの人達が駆けっこをしている。まわりの観客は、ヤジや声援を思い思いに飛ばしている。
駆けっこをしている人達の背丈は、一様に低い。
子どもほどの背丈に、短い手足と、その上に大人の顔。
成長ホルモンの関係で、身長が伸びるのが止まってしまった、医学的に言うと「小人症」ということになる。
小人症の人達が楽しそうに徒競走を朝からやっていたわけで、その歓声に起こされたというわけだった。

 

あの団体が患者団体なのか日本ではなくなってしまった種類の興行団体だったのかは今となってはわからないが、メキシコの早朝の真っ青な空の下の、小柄なメキシコ人たちの心底楽しそうな大歓声と朝日を浴びて力いっぱい走る姿はしっかりと思い出す。

 

「死を憎まば生を愛すべし」(徒然草)なんて話を書こうと思ったのだが、思わぬ話が長くなってしまった。

皆さま、良い一日を。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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7月21日は参議院選挙ー公助の話(後編)

自助・共助・公助について考えている。

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公助の話の続き。


前提として、この話は「公助なんて甘え。自助こそ至高」という考えの人に向けて書いている。そうした自助派の人が、「やっぱり自助は必要だけど、共助・公助もあったほうがいいかもね」というふうに思想的な冒険をしてくれることを狙っている。題して『自助の奇妙な冒険』。すみませんでした。ゴゴゴゴゴゴ。

 

さて、「適切に運用された場合」、公助システムは個人と国家にとって、効率的なものとなる。
前述の人物像をターゲットに、響きそうな比喩を用いる。

 

一個人が自助のみにて犯罪から身を守る状況を想定してみる。
犯罪者がいつ何時、自らに襲いかかってくるかわからないから、格闘技の達人になるまで修行する必要がある。あるいはボディーガードを雇う手もある。24時間365日ボディーガードをつけるなら、相当な出費を覚悟しなければならない。
自宅には高い塀をつけ、近隣にも山ほど監視カメラをつけよう。
万が一、泥棒に入られたら、自分自身で捜査を進め、犯人を見つけ出す。やられたらやりかえさなければならないから、個人経営の私設刑務所も建てよう。

思考実験として、自助だけで犯罪から身を守る状況を考えてみた。とてもではないがやっていられない。
時間的金銭的コストは莫大なものとなり、自助だけではやっていられないからみんなで税金出し合って警察だの検察だのの公助システムを使っている。

 

「外からの敵」、犯罪から身を守るには、自助とともに公助システムがあったほうが効率的であるということを論じた。
さて、「内からの敵」、老いや病いから身を守る場合はどうか。
自助のみで病気から身を守るには、無数の病気について学ばなければならない。自分自身の手で山から薬草をとってきて薬を精製し、内臓に悪いところがあれば自分自身で麻酔をかけ、自分自身で手術する。仁やブラックジャックでもあるまいし、そんなのは無理だ。
自助だけでは到底まかなえないから、医療や福祉などの共助・公助システムがあるわけである。

 

言ってみれば共助・公助システムというのは、生身でか弱い個人を陰ながら守る「スタンド」みたいなものなのだ。「外からの敵」=犯罪や戦争、「内からの敵」=病いや老い、から自助のみで身を守るには、一個人というのは、貧弱貧弱ゥなものなのである。

…ちょっとなに言ってるかわからない。

違う話をしてみたい。

あなたの目の前に、一人の女性が座っていると想像してほしい。
名前はジョアン。28歳のシングルマザーだ。パートナーと別れ、住む家もない。
彼女は子どもの頃から空想好きで、いろいろ楽しい話を考えるのが得意だという。今は仕事にあぶれて貧しいけれど、いつか小説を書いて人生を逆転させると言っている。
だから申し訳ないけれど、今月の生活費を69ポンドほど出してくれないだろうか、そうジョアンは言う。
あなたなら、夢見る自称小説家のジョアンに69ポンド出すだろうか。
出すわけがない?同情はするけれど、彼女の貧困は彼女の問題で、売れない小説なんか書いてないで、フィッシュ&チップスでも売って自助でなんとかしろって?
あなたはそう言って彼女を追い払うかもしれない。ジョアンはトボトボと歩いて家に帰り、絶望的な気持ちで原稿用紙を破り捨て、フィッシュ&チップス屋にバイトの面接に行った。彼女が筆を取ることは生涯二度となく、

そして、

人類は『ハリーポッター』の物語を読むことはなかった。永遠に。

 

ジョアンのペンネームはJ・K・ローリング
実際にはジョアンはイギリスの生活保護をうけて「ハリーポッター」を書き上げ、シリーズは世界中で計4億部(!)売れた。

もちろんJ・K・ローリングは、例外事象だ。
だがイギリスに生活保護などの公助システムが無かったら『ハリーポッター』シリーズは生まれなかった。『ハリーポッター』シリーズの本や映画は人類を豊かにしたし、出版や映画、物品販売にイギリスのイメージアップなどなど、『ハリーポッター』関連で有形無形の財産を築いた人は無数にいる。そう考えるとイギリスは『ハリーポッター』を生んだだけで生活保護予算のモトは取ったんじゃなかろうか。ぼくもUSJにどれだけ貢いだか…。

ま、公助にはそんな面もある、というくらいの話だ。

 

しつこいが、一連の話は、「自助サイコー!共助・公助は無駄無駄無駄ァっっ!」という人を想定して書いている。このため提示する話に偏りがある。

共助・公助というものは、「適切に運用されれば」、個人と国家にとって効率的なものになる。大数の法則が働き、個人が生きていく上での生涯に渡るリスクとコストを平均化できるからだ。

 

人間の一生を考えると、人生のはじめの10数年はどうしても自分で稼ぐインカムより、生存に必要なコストのほうが高い(マコーレカルキンや芦田愛菜なら別だが)。文字通りの「自助」だけでははじめの10数年は生き抜けず、親の庇護という「共助」や、保育や公教育という「公助」に助けられて成長する。
10数歳〜20代で人間は社会参加し働いてインカムを得ることが出来る。そこからの3、40年は一般に、「共助」「公助」の仕組みから得るものより、保険料・年金・税金あるいは子どもたちの教育費などの「共助」「公助」への出費のほうが多い。
だがこの生産年齢時代でも、病気やケガ、事故や破産などの人生リスクはある。
そうして人生を送り、6、70代を迎えると、年金を受け取り介護のお世話になる。この時期は幼少期と同じく「共助」「公助」からの恩恵が大きくなる。
幼少期と引退期のコストを完全に「自助」だけでやるのは困難だ。だから「共助」「公助」があるわけだ。
また、前述の通り病気やケガ、事故や破産といったリスクは確率の問題でいつ我が身に降りかかるかわからない。

 

一個人の人生で病気がいつ起こるかを予測するのは無理だが、個人をたくさん集めて集団化して統計を取ると、集団の中で年に何人くらい病気になるかは分かる。
だから集団から少しずつお金を集めて備えておけば、集団として戦略的に生存できる。これの最大のものが「公助」だ。

 

このように「公助」というものは「適切に運用されれば」大変によいものとなる。
しかしながら世界をぐるっと見回せば、そこには親切重税国家から冷淡軽税国家まで「自助」「共助」「公助」のバランスの取り方は様々だ。
要は、どれくらいの割合の「公助」が適切か、どの分野に重点的に配分すべきかは、まだ絶対的な答えはない。というよりは国や社会、時代によってベストバランスはどんどん変わる、というのが本当のところ。

 

「自助」「共助」「公助」はいずれも必要だ。だがどれくらいのバランスが適切かは、究極的には国民が決める。その意思表示をすることはとてもとても大事なので、とりあえず選挙には行っておきたい。7月21日は参議院選挙ですよー。
ともあれ、自助であれ共助であれ公助であれ、良い国を作るのは国民なのだ。

 

「国家の価値とは、長い目で見れば、その国を構成している一人ひとりの価値にほかならない」
ジョン・スチュアート・ミル

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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公助の話(前編)

ここのところ、自助・共助・公助についてまとめて考えている。

 

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今まで自助と共助について書いたので、少々荷が重いが、今度は公助について書く。

 

まず第一に、公助の起源(の一つ)は決して「慈善」だけではないということ。
知っている人には常識だが、世界初の全国民強制加入の社会保険制度は、鉄血宰相ビスマルクによって作られた。目的は、国民が社会主義に走るのを防ぐため。
国家が国民の生存を保証/保障することで、国民が「赤化」するのを防いだのだ(田中滋『社会保障制度はいつ何のために始まったか』生活福祉研究 通巻84号 巻頭言)。

 

また、日本の厚生労働省のルーツが富国強兵にあることも指摘しておきたい。
旧日本軍が徴兵制度を導入して成人男子を徴兵検査したところ、梅毒感染者が多く、また栄養状態が悪いものもいて、「このままでは強い軍隊が作れず欧米列強に負ける。なんとかせよ」と内務省に掛け合ったのが厚生労働省のルーツの一つである。

 

公助、社会保障の話になると、脊髄反射的に「左」扱いする人がいる。それでは議論にならないので、あえて上記のような話を出した。
社会保障は、いわゆる「左」の話でもないし、イデオロギー論争の無限ループに突入すべき話でもない。国民と国家が生存していくための、極めてプラクティックな話だと感じていただければ幸いである。

 

いわゆる新自由主義者の中には公助や共助の概念をこき下ろし、自助のみで生きていくべきだという極論を述べる者もいる。しかしながら彼ら自身は、大学の終身教授や人材派遣会社の雇われ経営者というポジションを死んでも手離さない。自助のみで生きていくべきだという割には、なにかあったときの身分保障という共助システムから離脱する気はないのだろう(inspired byナシーム・ニコラス・タレブブラック・スワンダイヤモンド社)。

 

時代や社会情勢によってバランスは変わっていくが、自助も共助も公助も全て必要だ、というのがぼくの立場だ。

「年金制度改革はね、数年前にポイント・オブ・ノー・リターン、戻れない地点を越えました」
今から10年ほど前、とある役所の人がぼくらに言った。
「2000年代はじめに、日本の有権者過半数が50歳以上になったんです。50歳以上の人にとって、現行の年金制度というのは〈我がこと〉です。だからドラスティックに年金制度を変えようとすると猛烈な抵抗が起こる。50歳以上の人からすれば、既得権益を奪われるわけですから。有権者過半数から猛烈な抵抗が起こった場合、ドラスティックな改革をするのは無理なのです」
その人は、淡々とそう言った。

 

公助の話をしている。
自助、共助、公助はいずれも必要である、というのがぼくの立場だ。
しかし時代や社会情勢によって、可能な自助・共助・公助のバランスはどんどん変わっていく。

 

今では皆が当たり前に使っている共助・公助システムである健康保険制度。だが国民皆保険が成立したばかりのころ、ある政治家が病院を受診して健康保険証を使ったところ国民から大批判が起こった。「政治家ともあろう者が健康保険を使うなんてけしからん。政治家なら、健康保険なんかに頼らず、今までどおり全部自費で払え!」、と。
そのころは、健康保険は貧しい人のためのもの、という国民的認識であったのだ。
ちなみに伝説の日本医師会会長、武見太郎氏が銀座でやっていた診療所は全額自費診療だったそうだ。だから保険医総辞退なんてことが言えたわけです。

 

今と昔の倫理観みたいな浅はかな綺麗事を言うつもりはない。時代が変われば制度も変わる。また制度は一回決まるとなかなか変えられないので、連続的に変化し続ける時代に対応するのは大変で、常に時代遅れになる宿命だという話をしている。

 

上記を前提に、後編では公助の必要性、有用性を論じてみたい。
公助の必要性にピンとこない人をターゲットに書くので、例示する話に偏りが出るであろうことを前もってお断りしておきたい。
(後編へ続く)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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<あなたと顧客との共同作業による新しい社会創造>(神田昌典氏)という言葉に打ちのめされた話。

〈あなたと顧客との共同作業による新しい社会創造〉
ガツンと頭を殴られたような衝撃。
『最強のコピーライティングバイブル』(横田伊佐男著 ダイヤモンド社)の、神田昌典氏による「監修者・解説者はじめに」の中のフレーズである。

医療機関の運営を通して、事業というものを考えている。
ぼく自身は、自分自身のなりわいを旧来の「町医者」というより、「コミュニティ・ベースド・ヘルスケア・プロバイダー」であり、患者さんのための「パス・ファインダー」兼「ゲート・オープナー」と位置づけている(カタカナばかりのうさんくささはさておき)。
その「ヘルスケア・プロバイダー」事業のために、日夜ヒントを求めている。

さて、事業というものは、顧客にどれだけの価値を提供できるのかという話だと思っていた。高い価値を提供するためにはスキルを磨かなくてはならない。

しかし、己一つのスキルを上げていく、ということには、行き詰まり感がある。ひと一人で出来ることには限界があるからだ。

だが、冒頭の言葉に会って、スコンと天井を抜けられそうな気がした。

いわゆる「お客様は神様です」的スタイルでは、クライアント側は静的なイメージだ。ナナメに言えば、ふんぞり返って、お金は出すものの自分から動こうとはしない、という悪しきイメージが「お客様は神様です」モデルからは感じられる。

だが、冒頭の〈あなたと顧客との共同作業による新しい社会創造〉には生き生きとしてダイナミックな、前向きのムーブメント感がある。
事業を通して私も変わるし、顧客も変わる。そして互いに良い影響を与えあい、それが新しい社会を作っていく。そんなワクワク感に満ちた事業イメージだ。

〈あなたと顧客との共同作業による新しい社会創造〉。
例えばアップル社の事業。
iPhoneiPadを世に出し、信者とすら呼ばれる顧客が熱狂的に受け入れ使い倒したことで、新しい社会が生まれた。人類は、iPhoneのない時代に戻れない。これは事業体と顧客との共同作業による新しい社会創造だった。
マイスペースgoogleプラスなど、さまざまなソーシャルネットワークが生まれたが、顧客との共同作業による新しい社会創造に一番成功したのはFacebookだった。少なくとも今のところは。
パタゴニアは「Don't buy this jacket」キャンペーンなどを通して、無駄な消費を控えて環境を守るライフスタイルを顧客とともに作ろうとしている。
フェアトレード業者もまた、搾取のない社会を顧客との共同作業で作ろうとしている。

振り返ってみれば、我が国にも、顧客との共同作業による新しい社会創造に成功した事業体はある。
岩波文庫の後ろのページには、昭和のはじめに岩波茂雄氏によってかかれた文章が載っている。
そこでは〈知識と美とを特権階級から奪い返す〉ために広く読書子の協力を呼びかける檄文が展開してされ、知識と美を永久に安価に提供するため、〈その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。〉と結ばれている。岩波文庫発刊は、岩波茂雄氏にとって、顧客との共同作業による新しい社会創造のムーブメントだったのだ。
ソニーの顧客は〈真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場〉という理念にシビれたのだろうし、20世紀末には生活文化をともに創造する意気込みにあふれて若者がセゾンのお店に通ったのだろう。
いずれも、事業者と顧客との共同作業による新しい社会創造の例として挙げている。

あなた(=事業者、実行者)と顧客との共同作業による新しい社会創造、というイメージで、教育を、政治を、そして医療や介護を捉え直してみると何が起こるだろうか。そう考え始めると、途端に新たな光景が目の前に開けてくる。

冒頭の言葉に出会って、そんなワクワクにあふれているので、忘れないように書いてみた。オチは無いので悪しからず。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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塾生皆泳ー自助、共助、公助の話

自助、共助、公助。
社会保障や防災・減災にどれも必要不可欠なもので、その必要不可欠性は勉強に置きかえるとイメージしやすい。
成績を伸ばそうとすれば自習(=自助)は欠かせない。自習だけでは限界があるから友人と教え合い(=共助)したり、学校で先生に教えてもらったり(=公助)したりする。自助だけでもダメ、公助だけでもダメで、自助、共助、公助すべて揃ってはじめて効率的な勉強ができるというものだ。

デンマークに高齢者福祉の見学に行ったときに感動したことがある。
エルドラセイエンという高齢者施設の前でせっかくだからと記念撮影しようと友人とカメラを片手にああだこうだと話していたら、近くで車が停まった。なかから見知らぬ背の高いデンマーク人が降りてきて、僕らにこう言った。
「写真撮るのかい?シャッター押してあげるからそこに並んで」
見知らぬデンマーク人は僕らの写真を撮ると、再び車に乗ってどこかへ走り去った。

この一例をもってデンマーク人は親切と一般化するつもりはない。だが、わが身に置き換えて、自動車運転中にどこかの「ガイジン」が自動撮影しようとしているのを見かけたからといってわざわざ車を停めて写真撮ってあげようと思うかを考えると相当な親切っぷりだと思う。高負担高福祉社会を成立させる背景には高・親切で高・共助な文化風土があるのかもしれない。

つらつら考えていくと、共助、公助というのは逆に厳しいものかもしれないと思い至る。
「塾生皆泳」という言葉がある。
慶應義塾大学の学生=塾生はみんな泳げなければならない、という考えで、実際に慶應大学では90年代前半まで水泳は必修だったそうだ。
なぜ「塾生皆泳」かというと、「溺れている人を助けようとするならば、自らが泳げなければならない。自ら泳げない者が溺れている人を助けようとしても、二人して溺れるだけだ」ということらしい(「中の人」、詳しく教えてください)。
すなわち、共助を本当に成り立たせるならば、それぞれがしっかりと自助できる力をつけよ、ということなのであろう。共助なら、助けてもらうだけではなく助ける場合もあるわけですからね。(続く)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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